MLBでは減少一途も、NPBは50年前と変わらず…送りバントの歴史と達人
川相昌弘に次ぐスペシャリストの宮本慎也やソフトバンクの今宮健太
現在のMLBでは、日本のように犠打でつないで点を取ってそれを守る野球ではなく、初回から多くの点を取る考え方が中心になっている。そのため2番打者には、バントがうまいつなぐ打者ではなく、長打が期待できる強打者を起用するのが一般的になっている。現代のMLBで「送りバント」は終盤になって1点を争う状況などに限定的に使われる。NPBのように、早いイニングから「送りバント」をすることは、ほとんどない。
1982年に岡山南高からドラフト4位で巨人に入団した川相昌弘は、入団時は投手だったがプロ入り後に野手に転向。ユーティリティプレーヤーとして守備で貢献するとともに「送りバント」のスペシャリストとして台頭。1991年には当時のNPB記録となるシーズン66犠打を記録。この年も含めて7度のリーグ最多犠打をマークした。2003年8月には、MLB記録だったエディ・コリンズの512犠打を抜く通算513犠打をマークした。ただし、エディ・コリンズが活躍した1900~1920年代のMLBでは犠飛も犠打に含まれていた。コリンズの犠飛数は明らかではないが、川相は実際よりも早く世界一になっていたことになる。
近年のNPBでは、川相昌弘に次いで「バントのスペシャリスト」が登場するようになった。2001年に川相の66犠打を抜くシーズン67犠打をマークしたヤクルトの宮本慎也、2013、14年と62犠打を記録、29歳の今季で303犠打(7月20日現在)を記録しているソフトバンクの今宮健太、デビュー以来8年間で6回最多犠打を記録している広島の菊池涼介などがその代表格だ。
現代のプロ野球では、守備も高度に進化している。バントで打球を転がしても内野手はかなり高い確率で走者を封じ込めることができる。そんな中で、高い精度で「送りバント」を決めるスペシャリストたちは、プロ中のプロだといえるだろう。
(広尾晃 / Koh Hiroo)