“山陰のジャイアン”が選んだ指導者としての第2の人生 「野球界にずっと…」
15年オフにはソフトバンクからの育成オファーを断る「そのころは僕も若かった」
“山陰のジャイアン”と呼ばれ甲子園を沸かせ、プロ野球ではソフトバンク、DeNAで計7年間プレーした白根尚貴氏。現在は独立リーグ四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツで野手コーチとして、NPBを目指す若手たちを指導している。
白根氏は島根・開星高校時代に、エースとして春夏の甲子園に出場。2011年にドラフト4位でソフトバンクに入団しプロでは打力を活かすために内野手に転向。しかし、入団1年目のキャンプ前に右ひじの異状を訴え、2月にトミー・ジョン手術を受ける。その後も右肩の亜脱臼をするなど故障が続き2015年からは育成選手。2016年も育成契約のオファーを受けたが、これを断り12球団合同トライアウトを経て2016年からDeNAでプレーし2019年から同チームで野手コーチを務めている。
白根氏のプロ人生、そしてなぜ独立リーグでコーチを続けるのか――。Full-Countの単独インタビューに応じた。(前編)
――2015年オフにソフトバンクの育成契約を断り、12球団トライアウトを受けた
「2015年は『怪我なく1年出来たら来年は支配下登録ね』という話でした。でもそのオフには『来年も育成で』ということで……。チームにもいろいろ事情もあったのですが、そのころは僕も若かったので『退団します、トライアウトに行かせてください、それでどこも獲ってくれなかったらそれでもいいです』と。ソフトバンクも僕のことをいろいろ考えてくださっていたので、申し訳なかったですが、自分の意見を通しました。でも最後は円満な形で退団できました」
――トライアウトの前後には、他球団からも声が?
「DeNA以外の球団から連絡がありました。トライアウトの直後には、また別の球団から声がかかりました。でもその球団は『人数の兼ね合いで育成でなら』という話でした。育成契約を断ってトライアウトを受けたわけですから、また育成契約では意味がありません。DeNAさんが支配下枠では最初にオファーをくださったので、入団することにしました」