「世界一コンビ」復活に現実味…BC栃木入りの川崎宗則、西岡剛に感じる「恩」
川崎は西岡について「また野球に向き合うきっかけになった選手」
3歳違いの2人は、05年のオールスターをきっかけに付き合いが始まった。翌06年には、初開催となったWBCで王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)率いる侍ジャパンの二遊間を担った。キューバとの決勝では、1番・川崎、2番・西岡。1点リードの9回には、西岡のプッシュバントでチャンスを広げ、イチロー(現マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクター)の右前打で二塁から川崎が生還。捕手のタッチをかい潜る間一髪のプレーで“神の右手”と話題を呼んだ。
08年の北京五輪でもコンビを組み、その後ともに海を渡った。そして奇しくも昨季はNPBを離れて戦った。西岡が「ムネさんが台湾で野球することを聞いて僕自身も火がついた」と言えば、川崎も「剛が栃木で頑張っているのは嬉しいし、励みになる」と応え、互いが互いの原動力にもなっていた。さらに川崎には、西岡への恩がある。栃木での練習参加初日の会見でも、感謝を口にした。
「また野球に向き合うきっかけになった選手なんです」。体調不良で野球から離れていたころ、12球団合同トライアウトを控えた西岡が、福岡に訪ねてきてキャッチボールの相手を務めた。新天地を求める弟分が投げる回転のきれいな球をグラブで受け止め、その力強さに奮い立つものが確かにあった。「年齢的には僕の弟と言いたいところですけど、兄貴的な存在というのもあって」。川崎はその存在の大きさを語る。
戦う場所は違っても、機を見て顔を合わせてきた2人。川崎が西岡の地元の関西を訪れた際には、一緒にロードバイクに乗って浪速の観光地巡りをしたこともあった。昨秋には、西岡が台湾を訪れ、異国でプレーする「お兄ちゃん」の姿を目に焼き付けた。「いつか同じユニホームを着られたら」。交わした約束が、川崎の栃木入りで現実味を帯びてきた。2020年晩夏。2人がグラウンドで再会する日が来るかもしれない。
(小西亮 / Ryo Konishi)