70年前はプロ野球よりも大学野球が人気? スポーツ紙で見る過去と現在の野球の扱い

1950年の日刊スポーツの紙面【画像提供:日刊スポーツ】
1950年の日刊スポーツの紙面【画像提供:日刊スポーツ】

70年前の新聞記事からわかること

 1950年の紙面の左下で扱われている「日本復帰問題を上程」という記事に注目してほしい。記事内では、1952年に開催されるヘルシンキオリンピックにおいて、日本が参加国に復帰するかどうかについての議論が行われている。

 また、右上の記事ではアメリカから派遣された体操選手に関する話題が扱われている。先述したオリンピック復帰についての記事と合わせれば、当時の日本のスポーツが徐々に国際化を迎えていたのではないかと考えることもできる。このように、新聞紙面は当時の社会状況について観察する貴重な資料であると言えるだろう。

 複数の話題が扱われている1950年の紙面上でも、特に大きく扱われているのが右下の「大学野球」についての記事だ。井上さんによれば、当時の大学野球はプロ野球に匹敵、もしくはそれ以上の人気を誇っていたという。

「六大学は特に戦前などではものすごい人気を誇っていたので、戦後直後もその人気は続いていました。有名な選手も多数輩出しているので、紙面上ではそこに注目すると面白いですね」

 六大学野球で使用されている明治神宮野球場は大学野球の「聖地」ともいうべき場所だが、70年前はプロ野球の試合は開催されていなかった。紙面上からは、明治神宮野球場から誕生した当時のスター、そしてのちの野球界に多くの功績を残した方々を見つけ出すことができる。まずは、1950年の春から3連覇を成し遂げた早稲田大学のメンバーに注目したい。

1950年の春から3連覇を成し遂げた早稲田大学のメンバーは?

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