元巨人篠塚氏を育てた“怪物・江川”の剛速球 高校時代に絶望した「見たことない球」
「打者として1番大事なのは、相手投手の1番速い球を遅れずに打つこと」
読売巨人軍史上屈指の好打者で通算1696安打を放ち、守備でも名二塁手として鳴らした篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)。首位打者2度を含め打率3割を7度マークし、プロ野球史上歴代13位(通算4000打席以上)の通算打率.304を誇る天才打者は、千葉・銚子商高1年の時、その後のプロ生活にも大きな影響を与える対戦を経験した。相手は、プロ入り後巨人で同僚となる栃木・作新学院高の江川卓氏だった。
初球に驚愕した。「自分のタイミングで振り出そうとした時にはもう、ボールがキャッチャーのミットに入っていた。見たこともない速い球だった」。
篠塚氏は銚子商高に入学後、すぐレギュラーの座を奪取。5月の春季関東大会で作新学院高と対戦し、2歳上の江川氏と初めて相対した。当時の江川氏は既に、同年春の選抜に出場してベスト4入りを果たし、選抜記録の1大会60奪三振をマーク。バットにかすらせもしない剛速球で「怪物」の異名を取っていた。
「その試合でヒットを1本打ちました。どん詰まりで、セカンド、ショート、センターのど真ん中にポトンと落ちる当たりでしたけど……」と苦笑。レベルの違いを思い知られたと同時に、「このボールを打たないと、プロでは通用しないのだろう」と思いを新たにしたという。篠塚氏もまた、小学6年の時に所属していた野球部の監督から「おいシノ、おまえプロへ行けるよ」と言われてから、ずっとプロに照準を合わせていたのだ。
「その後、作新学院で行われた練習試合を含めて、江川さんとは2試合対戦し、計7、8打席立ってヒットは2本。江川さんのボールを体感してからは、他のいろいろな高校と対戦しても、相手投手を『速い』と感じたことは1度もなかった」と断言する。