「ミスター社会人と思っていない」トヨタ自動車の37歳・佐竹功年を支える原動力は?
早大の同級生は元巨人・越智、元ヤクルト・武内「一番長く野球をやろうと思った」
そんな佐竹が、社会人になってから更なる成長を遂げることができたのは、制球力が上がったから。そして、その要因は、メンタル面の強化にあったという。
「僕の場合は精神的な面が大きくて、メンタルトレーニングをすることで、マウンドでも前向きになれるようになり、制球がよくなったことで自信がついた。コントロールが悪かったので、コントロールさえ良くなれば、と考えていた。プロにいった投手にもここだけは負けない、というのがないとダメだとずっと思っていたんです」
自信を持てるようになったのは26、27歳。「若い時はマウンドに上がるのが怖かったし、1球投げるまでビビっていた」。だが、都市対抗野球でも結果が伴うようになり、自信がついたことで、徐々に成績も良くなっていった。
入社2年目の2007年に日本選手権で初優勝。その後も2008年、10年、14年、17年と5度の優勝を成し遂げた。そして2016年には主将として都市対抗野球でも悲願の初優勝。日立製作所との決勝の舞台では、11奪三振で完封。喜びの涙を流した。「一番嬉しかったのは2大大会初優勝となった日本選手権の最初の優勝。都市対抗野球の時は、嬉しさよりもホッとした気持ちでした。日本選手権ばかり優勝して、都市対抗野球で勝てていなかったので、やっと会社の人に認めてもらえるかなと思った」。
佐竹には、早大を卒業した時に立てた1つの目標があった。「大学でドラフトにかからなかった。その時、同期がプロに2人、社会人に僕を含めて3人が進んだんですが、この5人の中で一番長く野球をやろうと思った。プロにはいけなかったけど、プロにいった選手よりも本気の野球を長くやることで、この道が正解だったと思いたかった。自己肯定の意味もあった」。巨人の越智は2014年、ヤクルトの武内は2018年に現役を引退。社会人に進んだ3人も各チームの主力として活躍し、全員が社会人日本代表にも選ばれたが、ほかの2人はすでに引退。今も現役を続けているのは佐竹1人になった。
では、佐竹が長年続けてきた社会人野球の魅力とは何なのか。佐竹は「こんな面白い野球はない。ヒリヒリ感です」と即答した。リーグ戦ではない、一発勝負の社会人野球。会社の名前を背負って戦い、敗れればそこで終わりだ。
「負けて会社にいけない緊張感がある。もちろん負けても皆さん温かく迎えてくれるんですけど、これだけ自由に野球をやらせてもらっている中で、申し訳ない気持ちになる。プレッシャーを感じつつ野球をやるのはなかなか他のカテゴリーではない。レベルはプロのほうが間違いなく高いですが、個人の部分が大きいプロ野球では、チームが負けても自分が3冠王を取れば成功になる。でも、社会人はそうはいかない」
負ければ後がないため、次戦に先発予定だった投手が、更なる失点を避けるために、急きょビハインドの試合でリリーフとして投げなければならない時もある。だが、それは社会人では当たり前。佐竹は「プロの人は驚くかもしれませんが、僕らはむしろありがたい。意気に感じてマウンドに上がっています」と明かす。