右腕激痛で「左手だけでシャンプー」 うどん店主に転身した元巨人投手が号泣した日

2002年にはリーグ優勝に貢献【写真:本人提供】
2002年にはリーグ優勝に貢献【写真:本人提供】

秋季練習初日に戦力外通告「感極まってわんわん泣きました」

 翌2002年、監督が長嶋氏から原辰徳氏(現巨人監督)に変わった。條辺氏は前年より1試合多い47試合に登板し、防御率3.16をマークしたが、投球回数は逆に65回から37回へと激減した。舞台裏は「原さんがうまいこと使ってくれましたが、ストレートの球速は10キロほど落ちて最速でも142、3キロ。平均では130キロ台だったと思います。フォーク中心の配球でしのぎました。右肩は注射を打っても良くならず、温まってくるとそこそこ投げられましたが、痛みを感じない日はほとんどありませんでした」という苦境だった。

 2003年以降の3年間は右肩痛の悪化で振るわず、1軍登板は9試合、4試合、4試合。プロ6年目の2005年シーズン終了後、戦力外通告を受けることになる。その日を鮮明に思い出す。

 10月上旬、ジャイアンツ球場での秋季練習初日だった。駐車場に車を止め、クラブハウスへ向かって歩いていた條辺氏を、球団の編成担当者が制した。「條辺、もうユニホームは着なくていい。来季契約は結べない。これから寮の事務所へ行ってくれ」と声をかけられた。

「3年間1軍でほとんど働けず、そろそろかなとは思っていましたが、いざ言われると、頭が真っ白になりました」

 寮で正式通告を受けた後、ジャイアンツ球場に取って返すと、練習が一時中断され、グラウンド上であいさつの場が設けられた。ナインが取り囲む中、「一言しかないです。6年間ありがとうございました」という短いセリフを終えないうちに、涙があふれた。「どうにかして涙は出ないようにと思っていたのですが、みんなの顔を見ていたらいろいろ思い出してしまって、感極まってわんわん泣きました」と振り返る。

 11月に千葉県鎌ケ谷市と神戸市で2度行われた合同トライアウトに参加したものの、他球団からのオファーは届かず、月末に現役引退を決意した。鮮烈な輝きは放ったが、短いプロ生活だった。それでも、「やれるだけやりましたし、楽しかったです」と言う條辺氏に後悔はない。特に毎日のようにブルペンで準備し、力投を重ねた2年目は、19、20歳の若者にとって過酷だったという見方もできるが「あれだけ使ってくれたからこそ、今の商売にもつながっている。感謝しかありません」と穏やかな笑顔を浮かべる。

「野球以外、アルバイトすらしたことがなかった」という24歳は、一念発起してうどん作りに挑み、自前で人気店を経営するまでに。その転機の裏には、身を粉にした過酷な修業があった。

「讃岐うどん 條辺」
埼玉県ふじみ野市上福岡1-7-9
電話049-269-2453
営業時間7時から15時(麺が終わり次第終了)
日曜定休

【動画】今も変わらぬイケメンぶり お客さんを出迎え、うどんを打つ條辺さんの今の姿

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