右腕激痛で「左手だけでシャンプー」 うどん店主に転身した元巨人投手が号泣した日

元巨人の條辺剛氏【写真:本人提供】
元巨人の條辺剛氏【写真:本人提供】

條辺剛氏が語るプロ生活と第二の人生…3回連載の第1回

 2000年に巨人の19歳高卒ルーキーとして颯爽と1軍デビューを飾り、その後もイケメンのリリーフ投手として活躍した條辺剛(じょうべ・つよし)氏。右肩を痛めて24歳の若さで現役を引退後、本場の香川県でうどん作りを1年半修業した。2008年に「讃岐うどん 條辺」を埼玉県ふじみ野市にオープンさせ、いまや人気店に。マウンドから厨房へと活躍の場を移した條辺氏に、波乱万丈の半生を振り返ってもらった。

 東武東上線・上福岡駅東口から徒歩1分。商店街の中ほどに、茶色地にひらがなで「じょうべ」と染め抜かれたのれんが見えてくる。達筆な「じょうべ」の文字。“ミスター”こと巨人終身名誉監督の長嶋茂雄氏の直筆であることは、熱心な野球ファンにはよく知られている。

 條辺氏は1999年のドラフト5位で、徳島・阿南工高から巨人入り。上位指名ではなかったが、1年目の2000年に早くも1軍デビューを果たす。シーズン最終戦となった9月29日のヤクルト戦に先発。3回3失点で敗戦投手となったが、その経験を土台に翌2001年に躍進した。最速150キロの速球を武器に、リリーバーとして46試合に登板。7勝8敗6セーブ、防御率4.02の成績を残した。

 ただ、フレッシュな活躍の裏で右肩は悲鳴を上げていた。「私生活でも痛くて右腕が上がらない。左手だけでシャンプーして髪を洗っていました。それでも、マウンドに上がるとアドレナリンが出て、痛みを忘れるわけではないけれど、投げることはできた。今考えると凄いですよね」と振り返る。

 当時ともに中継ぎを務めていた先輩に相談したことも。「そんなに痛いなら、絶対に首脳陣へ申告した方がいい。長い目で見れば、無理をするのは得策ではない」と諭されたが、なかなか申し出ることはできなかった。「右の中継ぎは、代わりがいくらでもいる。戦線離脱すれば、すぐに自分の席がなくなるという恐怖がありました」と明かす。

 約1か月半、激痛に耐えながら登板を重ねたが、結局8月後半に限界を超え、自ら申し出て2軍落ち。しかしその1か月後には、痛みが消えないまま1軍のマウンドに戻っていた。

秋季練習初日に戦力外通告「感極まってわんわん泣きました」

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