ミスタードラゴンズ高木守道氏お別れ会に225人、立浪氏「10・8に勝っていれば」
昨年1月に急性心不全で他界、当初は昨年3月開催予定もコロナ禍で延期
昨年1月に亡くなった中日OBで元監督の高木守道氏のお別れの会が26日、名古屋市内で開かれた。招待された関係者ら225人が参列。当初は昨年3月に予定されていたが、新型コロナウイルス感染拡大によって延期になっていた。逝去から1年余りをへての開催で、「ミスタードラゴンズ」の在りし日に思いを寄せた。
感染防止の観点から式典は実施せず、参列者が随時献花をする形で開催。高木氏が指揮を執った1994年、同率首位で並んだ巨人と優勝をかけた最終戦「10・8決戦」で主軸を担った“3代目”ミスタードラゴンズの立浪和義氏は「やはり思い出は10・8。あそこで勝っていれば、監督に違った思いをさせらてあげられたのかなと」と回顧。さらに、元監督の山田久志氏や谷繁元信氏ら中日関係者らが姿を見せた。
お別れの会に先立って中日の選手や球団関係者の献花も行われ、与田剛監督は「ひとつのけじめ。遺志を継いで戦いたい」と語った。中日時代に高木氏と同じ背番号1をつけ、今季14年ぶりに古巣に復帰した福留孝介外野手は「1番を汚さないようにやってきた」とも。現在、背番号1を担う選手会長の京田陽太内野手は「長く1番をつけられる選手になりたい」と約束した。
高木氏は県立岐阜商から1960年に地元の中日に入団。絵に描いたような三拍子揃った二塁手で、特に守備では遊撃への「バックトス」は名人芸とも呼ばれた。走っては3度の盗塁王。さらに1978年には球団史上初の2000安打を達成した。実働21年で通算2282試合出場。打率.272、2274安打、236本塁打、813打点、369盗塁。ベストナインにも7回輝き、今でも「史上最高の二塁手」との声は根強い。
コーチ時代をへて1992年からは監督に就任。1994年の「10・8決戦」はいまでも語り草になっている。1995年限りで退任したものの、2012年から再び監督として2年間チームを率いた。指揮官としては1度も優勝を経験することはできなかったが、その後は解説者や少年野球の指導者として精力的に活動。2020年1月17日に急性心不全のため78年間の生涯に幕を閉じた。