春季キャンプで一番過酷なポジションは? 多忙な1日は「ランチの時間を取れなくて」
「データの分析は、いったん始めると止まらなくなって日付を跨いでしまうことも…」
「居残り特守では、早出でコラレス臨時コーチから教わったことを、体にしみ込むまで延々と繰り返します。始まる時間が非常に遅くなる上、短くても1時間で終わることはなかった」と野口氏は証言。「とにかくキャンプ期間中、キャッチャーはやる事が多くて忙しい。ランチの時間を取れなくて、おにぎりをキープしてもらって、あとで空いた時間にほおばる日もありました。宿舎ホテルでの夕食は午後6時開始でしたが、間に合ったのは、3週間のユマキャンプ中1~2回しかありませんでした」と過酷なスケジュールを振り返る。
「僕は当時20代前半で体力があったので、まだよかった。40~41歳で1軍バッテリーコーチ兼捕手だった頃の八重樫幸雄さんは大変だったと思います」とも。
これで終わりではない。野村克也監督時代には、休日前日以外は宿舎で毎日、全員参加の野球勉強会が1時間以上。さらに捕手陣は個々にスコアラーから前年までのデータをもらい、自室で分析に取り組んだ。その年のリードに生かすために、これも欠かせない時間だった。
「データの分析は、いったん始めると止まらなくなって、日付を跨いでしまうこともしばしば。外食に出かける余裕はほとんどなく、ユマキャンプの場合は、宿舎裏のガソリンスタンドに併設されたコンビニからビールを買って来て飲むのが精いっぱいでした」と野口氏は思い返す。
そうでなくても、重いレガース、マスクを装着しなければならないキャッチャーは、損な役回りにも見える。しかし、だからこそ、「グラウンド上の監督」としてチームにとって主導的役割を果たすことができるのだろう。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)