「何も確証がなかった」緊急渡米 有原航平が感じた“揺れた移籍市場”1か月の裏側
コロナ禍で感じた独特の移籍交渉、食事もテイクアウトで済ませるだけ
「最初の数日はホテルと事務所の往復だけでした。コロナの影響で外にも出られず、食事もテイクアウトで済ませていました」
滞在して1日、2日と経過していくうちに、複数の球団からオファーが届き始めた。通常ならば対面して、話が進んでいくのだが、球団のGMと対面することはなかった。すべて、パソコン越しでの交渉となった。
「こういう感じで決まるのかって思いました。米国に行ってから、オンラインミーティングでどんどん話は進んだかなと思います。代理人の方も『今年はスローペース』だと話していた。でも自分にとっては初めての経験なので、こんな感じなのかな、という風には受け止めていました」
期限に近づいて並んだオファー。有難い評価を受けたと有原はどの球団にも感謝の思いでいっぱいだった。各球団から熱量を感じた。
最終的に選んだのはレンジャーズだった。決め手は何か。有原の中では明確なものがあった。
「どの球団も、とてもよい評価をしていただけました。施設面も含め、レンジャーズにお世話になろうという気持ちになったのは、まだまだ伸びると言ってもらえ、具体的なことを示していただけたのが、すごく嬉しかったです。もっともっと、自分が成長できるチームなんだなと思いました」
レンジャーズは日本ハム1年目からの有原の投球の解析をしていた。試合のデータや成績はもちろん、球種の割合も細かく調べていた。その中で、高めの直球の使い方など、ピッチングの助言を受け、さらなる活躍に太鼓判を押されたという。
「データを出してもらって、もっとこうした方が良くなるという点を教えていただけました。『絶対にやりなさい』と言っていたわけではなく、壁にぶつかった時にはこうするといいよ、と。本当にすごいなと思いましたし、とてもわかりやすかったです」
各球団との面談は1回のみ。他球団からもデータは示されたが、有原の心を打ったのはレンジャーズ。自分を一番必要としてくれる愛を感じ、ここならばさらに成長できると感じた。他にも施設なども紹介された。動作解析の施設にも目を奪われた。本拠地のあるダラスの街についても話をしてくれた。代理人との意見も一致し、チームは決まった。
「(本拠地の)グローブ・ライフ・フィールドも綺麗でした。昨年のワールドシリーズをテレビで見ていたので、ここがまさか本拠地になるとは思っていませんでした。ここで投げられるように頑張ろうと思いました」
24日に有原はロサンゼルスからテキサスに移動。25日にメディカルチェックを受けて、晴れて契約となった。年俸は今年が260万ドル(約2億7000万円)、来年が360万ドル(約3億7000万円)と報じられた。無事にサインをし、緊張の6日間が終わった(金額は推定)。