巨人桑田真澄氏が若手選手へ行った極秘の講話 松本匡史氏が明かす26年前の真意

現在は野球塾「BEベースボールアカデミー」で指導している松本匡史氏【写真:編集部】
現在は野球塾「BEベースボールアカデミー」で指導している松本匡史氏【写真:編集部】

1995年の大けがで長いリハビリに…松本氏は桑田ロードを走る背番号18を見ていた

 松本氏がそのあと心がけたのは、軋轢を生まないようにすることだった。2軍のスタッフたち、特に投手部門のコーチが、複雑な思いにならないように自分が桑田氏に頼んだ経緯をきちんと説明をした。

「桑田もコーチがいたら気を使ったかもしれないし、『あいつは何言っているんだ?』とか思われるのも私は嫌だった。彼の考えを選手として若手に話をしてもらいたいから頼んだと(コーチ陣に)伝えたら、みんな『分かりました』と同意してくれました」

 あれから26年が経過したが、あの時のミーティングで何を話したか、桑田氏から聞いていない。松本氏の方から選手たちに聞いたりもしていない。

「今から考えても、首脳陣が聞かなくてよかったんじゃないかな。選手として大切なことを伝えてくれたんだと思います。桑田のミーティングの後、選手たちに何か大きなことが起きたという記憶はありませんが、自分で考えて、行動をするということが、プロで成功する近道であることを伝えてくれたのではないかと思っています」

 1995年5月24日。桑田氏は先発した阪神戦で投手前の小フライにダイビングキャッチを試みた際に右肘を強く打ち、側副靭帯断裂の重傷を負った。1軍選手が主戦場として戦う東京ドームから、ジャイアンツ球場での長いリハビリ生活が始まった。

「毎朝、外野を走っていましたね。私たちはイースタン・リーグの試合の準備をするのですが、それよりも前から、黙々と一人で走っていました。集中力はすごいなと思って見ていました」

 走り込んだジャイアンツ球場の外野の芝が剥げた部分は「桑田ロード」と呼ばれるようになった。試練を乗り越えようとする姿は当時の若い選手にも勉強になったという。

「今回、投手チーフコーチ補佐になったことが注目されています。彼は自分の意思をしっかりと言葉で選手に伝えることができると思いますが、他の投手コーチとも相談しながらやらないといけません。彼の知識、言うことがどれだけ選手に直接伝わるか……。どんどん、直接伝えられるような環境ができれば、選手はどんどん伸びていくと思います」

 模範の選手から、コーチへ。苦難を乗り越え、努力ができる選手の誕生に期待したい。

(Full-Count編集部)

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