「今でも目に浮かぶ」…55年ぶりの決勝戦でサヨナラ負け、高松商捕手が語った記憶
センバツ準Vのメンバーの中で長く野球を…「もう誰も野球をやっていないと思われたくない」
――今はそれぞれ違う道を歩んでいると思いますが、あのセンバツ準優勝メンバーとはよく会いますか?
「毎年、年末に帰省した時は集まって遊んだりします。1年で上位を争うくらい楽しみなことが、帰省してみんなに会うこと。それを楽しみに頑張っています。でも、僕らの代で野球を続けている人はもう少ないですね。大学後も野球を続けているのが、僕と美濃(晃成)だけですね」
――植田選手は大学を卒業後、社会人野球のENEOSでプレーする予定。野球を続けている選手が少ない中で、思うことはありますか?
「同級生のみんなからも『頑張れ』とか『望みはお前らだけや』とか言われるので、野球を離れたヤツらの分まで僕らが、自分が頑張らないといけないなってすごく思っています。『神宮で優勝、センバツ準優勝した代を潰すわけにはいかない』というか『もう誰も野球やってない』って思われたくないし、頑張っているヤツがいたほうがいいと思う。野球をやりたくてもできない人もいるので、そういうヤツらの分まで野球に向き合って頑張らないといけない。メンバーと撮った写真は携帯に入っているので、時々見返して『こういう時もあったな。こいつらもう野球できないんだ』って考えたりして勇気や、やる気をもらっています」
――センバツで一番忘れられない景色はどんな景色ですか?
「智弁学園(奈良)との決勝戦で、延長11回、最後にセンターオーバーのサヨナラ適時二塁打を打たれた時。センターを守っていた安西(翼)があの打球をとれなかった瞬間ですかね」
――勝った試合ではなくて、負けてしまったあの「最後の一球」が一番忘れられないんですね。
「今でも目に浮かびますね。智弁がサヨナラを打ってマウンドに集まる姿と、あの歓声は今でも耳に聞こえそうですし、あの景色は今でも浮かびますね」
――あのセンバツ以降、野球観や考え方で変わったことはありますか?
「決勝戦で負けてから改めて考える部分が出てきました。延長11回のあの時、2死一塁で普通だったら外野を後ろに下げなきゃいけない状況だったんですけど、打者が投手の村上(智弁学園)だったので『後ろへの打球、頭を超えられることはないだろう』と直感で思ったんです。その前の打席も打たれていなかったので、センターの安西(翼)も前に守っていて、キャッチャーの僕もその安西の意図を汲み取って『安西そこで守ってていいよ』とOKサインを出したんですけど、それがダメで負けてしまった。『野球のセオリーを無視しちゃいけないな』とすごく感じました」
――高校野球の3年間で得たものは?
「高校野球で得たものは仲間。これは間違いないです。みんながいなかったらあそこまでの結果は残せていないと思いますし、お互いに助け合ったり鼓舞しあったりして、頑張れた。その中心にはキャプテンの米麦(圭造)がいたんですけど、あいつがいたからチームもまとまったし、仲間が自分を大きく成長させてくれたと思います。あのメンバーだったからこそ、絶対に死ぬまで崩れないと思うくらいの仲の良さがあって、僕もみんなが応援してくれている分まで頑張ろうと思います」
――最後に、植田響介選手にとって「甲子園」とは?
「高校野球の全てが詰まっている教科書だと思います」
(西村志野 / Shino Nishimura)