シーズン78盗塁や“昭和の柳田悠岐”も? 70年前の「パ初代ベストナイン」が凄い

「つまり彼は打撃の天才なのだ」とまで称された選手とは?

○外野手:別当薫(毎日)
120試合 43本塁打 105打点 打率.335(34盗塁)

 紙面上で「特級の別当」「パ随一の外野手にとどまらず、日本を代表するスラッガー」と最大級の評価をされているのもうなずける成績だ。シーズンとプレーオフの双方で変わらぬ打棒を発揮し、毎日のパ・リーグ制覇と日本一に大きく貢献した。本塁打王と打点王の2冠を獲得しただけでなく34盗塁も記録し、セ・リーグの岩本義行(松竹)と共にプロ野球史上初のトリプルスリーも達成。ベストナインだけでなく、最優秀選手も獲得している。現代で言えば、ソフトバンク・柳田悠岐外野手のような存在だろう。「外柔内剛、物に動じない(紙面より)」スタイルであったようだ。

○外野手:大下弘(東急)
106試合 13本塁打 72打点 打率.339

 打率.339でパ・リーグ初代の首位打者を獲得。第8回の連載でも取り上げたように、「赤バットの川上哲治(巨人)、青バットの大下」という言葉が今でも残るほどの大打者だ。紙面上では以下のように独特な比喩を使って表現されている。

「ただ人が唖然としているうちにホームラン王となった(1946、47年)ように、今季も三割三分九厘と人知らぬ間に好打率を残して首位打者となったところに大下の大下らしさがある。つまり彼は打撃の天才なのだ」

 美しいアーチを描く長打力がある一方で、「打撃の天才」と称され、首位打者を獲得するほどの技術を持っているとなれば、現代ではオリックス・吉田正尚外野手とその姿が重なるのではないだろうか。大下と吉田正はともに左打者で、身長も同じ173センチである。70年前と現代では身長の尺度は異なるが、こうした点でも共通点がある。

○外野手:飯島滋弥(大映)
111試合 27本塁打 77打点 打率.322

 別当、大下と2人のビッグネームの存在感が目立ってしまうが、飯島も両者に引けを取らない好成績だろう。紙面上ではあまり大きく取り上げられていないものの、1952年には大下を抑えて首位打者を獲得している。

当時はパ・リーグの選手で「ハワイ遠征」も

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