シーズン78盗塁や“昭和の柳田悠岐”も? 70年前の「パ初代ベストナイン」が凄い

「攻守において日本一の捕手」は打率.322の好成績

○捕手:土井垣武(毎日)
112試合 15本塁打 72打点 打率.322

 1リーグ制時代の1947年から1949年にかけても捕手でベストナインを受賞しており、阪神から毎日に移籍した1950年で4年連続の受賞となっている。「攻守において日本一の捕手」とあるが、特筆すべきはその打力。打率.322はリーグ5位の好成績であり、当時でも捕手として頭ひとつ抜けた存在だったようだ。直近では、2019年に埼玉西武・森友哉捕手が首位打者を獲得したが、1950年の毎日、2019年の埼玉西武の双方がリーグ優勝を果たしている。今も昔も「打てる捕手」はシーズンのチーム成績までも左右する存在であることがよく分かる。

○一塁手:飯田徳治(南海)
120試合 23本塁打 97打点 打率.327

 全120試合に出場し、リーグ3位となる打率.327を記録。シーズン前半は故障もあって不調だったが、中盤以降は復調して安打を重ねたようだ。比較対象として1リーグ制の時代の一塁手のベストナインを独占していた巨人・川上哲治が挙げられている。飯田は、川上のような「筋骨質」ではなく、「一塁手として理想的な上背と柔軟な体格の持ち主(紙面より)」だったようだ。井上さんが飯田について次のように説明を加えてくれた。

「飯田さんはこの後1948年から58年までにかけて、1246試合の連続出場記録を作っています。この記録は、衣笠(祥雄)さんに抜かれる(1980年)までは1位の記録。そういう意味でも「元祖・鉄人」という人ですね。そして、足がものすごく速かった。この年で23本塁打30盗塁、52年から57年までは6年連続で40盗塁をしています。ファーストで足が速いというのは今の感性からすると意外性がありますね」

○二塁手:本堂保次(毎日)
120試合 12本塁打 84打点 打率.306

 1リーグ制時代には「猛牛」の異名で知られた名手の巨人・千葉茂に迫る実力だったが、不安定な移籍が繰り返されことで成績面でもやや苦しんでいたようだ。しかし、パ・リーグの誕生によって移籍した毎日で復活を果たした。持ち味の守備では熟練された堅実なプレーを見せ、「強靭な腰のバネ(紙面より)」を生かして打撃でも活躍した。打率、打点、本塁打のいずれにおいても自己最高の成績を残して、二塁手としてパ・リーグ初代のベストナインを獲得した。打ってよし、守ってよしという意味では、ややタイプは異なるが楽天・浅村栄斗内野手のような存在感を発揮していたはずだ。

○三塁手:中谷順次(阪急)
115試合 21本塁打 98打点 打率.299

 前年に124試合で打率.320を記録して一気に中心打者となると、翌年も自己最多の21本塁打、98打点を記録し、三塁手としてパ・リーグ初代のベストナインを獲得した。この時点で年齢はすでに30歳を超えており、紙面でも「コツコツ成し遂げた土台の上に立つ完成だけに得難いプレイヤーの1人」と表現されている。他のベストナイン受賞者の多くが上位チームに所属しているが、阪急は7チーム中6位と苦しいシーズンとなった。だからこそ中谷の受賞は大きな意味を持っているはずだ。

○遊撃手:木塚忠助(南海)
116試合 8本塁打 47打点 打率.301(78盗塁)

 当時のプロ野球記録であるシーズン78盗塁を記録し、まさに「韋駄天」という形容詞の元祖のような存在だったようだ。驚異的な肩の強さも評価されており、広い守備範囲と送球の強さを要求される遊撃手は、まさに適材適所のポジションであったと言えるだろう。プロ通算479盗塁は歴代4位の成績だ。

「つまり彼は打撃の天才なのだ」とまで称された選手とは?

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