阪神設立アマチームに移った「女イチロー」 原点にある“野球ができなかった日々”
中学はソフト部、高校はテニス部「今、野球ができることに感謝」
これまでの野球人生で常に気にかけてきたのは、野球に関心を持つ子どもたちや若い女子選手のことだ。「環境のせいで野球を諦める女の子をひとりでも減らしていかなければ」という使命感は、三浦自身の経験から生まれた。兄の影響で6歳から野球を始め、小学生の時に日本代表のトライアウトを受験。1次審査に合格するほどの有望株だった。だが、中学校では希望した野球部には入れてもらえず、ソフトボール部に入った。
高校で再び野球をやることを検討したものの、当時は地元の愛知に女子硬式野球部がある学校はなかったため、椙山女学園高に進学してテニス部に所属。テニスでインターハイに出場するほど秀でた能力を発揮しながらも、野球への情熱は消えなかった。高3の秋に、翌春からスタートする女子プロ野球リーグのトライアウトを受験して合格。再び野球の世界に足を踏み入れると、女子野球を代表する選手へ一気に駆け上がった。
大好きな野球ができない時代があったからこそ、野球への思いが一層強くなった。そんな自身の経験を踏まえ、女子野球の認知度向上と環境整備に意欲を燃やす。
「私の場合、中学、高校と野球をやりたくてもできない環境だったので、今、野球ができていることに感謝でいっぱいなんです。だから、もう(女子野球は)自分だけのものじゃなくなってきているという感じです」と微笑んだ三浦。阪神の強力なブランド力を借りながら、女子野球の魅力を広げる伝道師としての道を突き進む。
(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)