怪我をしても「無理をしない」勇気を 甲子園3度出場の元プロ戦士が伝えたいこと
「天才」と称された男、石井義人氏は学生野球指導者への夢を抱く
横浜、西武、巨人で活躍した左の巧打者・石井義人氏がこのたび学生野球資格を回復した。今後、学生野球の指導者を目指していく。石井氏は埼玉・浦和学院で1年夏から甲子園に出場。今もマスターズ甲子園で同校のユニホームで戦うなど、高校野球愛が深い。名門で学んだ2年半の中で、今の球児に伝えたい思いを聞いた。
高校時代から打撃センスは光っていた。プロ入り後もその柔らかいバッティング技術は「天才的」と称されたほど。父の教えで野球をスタート。初めてバットを持ったのは3歳の時。自然と左打者の構えをしていた。
毎日のように自宅でスイングをする石井少年は浦和学院に進み、入学直後の1年春の関東大会からベンチ入り。2回戦に代打で出場するといきなり本塁打を放つ離れ技を演じた。夏の甲子園でもベンチ入り。1回戦の姫路工(兵庫)戦。2点ビハインドの9回に代打で出場し、中越え二塁打を放った。この一打が号砲となり、逆転勝利を飾るなど、順風満帆な高校野球生活のスタートだった。
しかし、1年秋の県大会後に右膝を痛め、手術を受けることになった。チームを離れてのリハビリが始まった。
「春の大会になんとか間に合わせたかったという思いでリハビリを続けていました。ただ、膝の痛さに耐えなくてはなりませんでした。辛かったですね。筋肉が戻らない。ちょっとしたことで膝が“カクッ”となったり、踏ん張っても力が入らない。怖さもありました」
1年での華々しい活躍。将来を嘱望されたが、大きな怪我に見舞われた。浦和学院には高い技術を持つ選手がたくさん集まっている。辛さや怖さだけでなく、自分の居場所がなくなるという不安もあった。
「野球を辞めたいという思いもありました。リハビリ中は野球部の練習を見るのが嫌でした。自分は松葉杖をつき、グラウンドに行くことができない。野球が大好きだったので、見るとプレーをしたくなる。だから、あえて見ないようにした。そうすると、自然に気持ちが離れますよね、当然。新しい選手も出て来るし……『ああ、このまま終わるのかな……』と思ったこともありましたね」