3度の戦力外、NPB時代の貯金を切り崩す日々…元鷹左腕が5年半ぶりに迎えた登板

元ソフトバンクの坂田将人
元ソフトバンクの坂田将人

2010年のドラフト5位で入団した坂田将人、同期には千賀や甲斐

 背番号はない。ユニホームどころか、Tシャツ姿。それでも、マウンドに立てたことが、何より気持ちを昂らせた。3月上旬、クラブチームとの練習試合。独立リーグの練習生となった元ソフトバンクの坂田将人投手は、5年半ぶりに対外試合で登板した。3度の手術、収入はゼロ、三十路が近く28歳。執念なんて思いは、とっくに通り越した。今はただ、純粋に野球と向き合えている気がする。【小西亮】

 岐路の連続だった。7年過ごしたNPB時代を振り返ると、自然と苦笑いが浮かぶ。「いい思い出を探そうと思っても、ないですね。苦しかったことしか思い出せないです」。投げているより、リハビリしている時間の方が圧倒的に長かった。

 2010年のドラフトで5位指名を受け、福岡・祐誠高からソフトバンクに入団。同期には、育成4位で千賀滉大、育成6位で甲斐拓也がいた。身長175センチとNPBでは小柄ながら、通算142勝の杉内俊哉・現巨人1軍投手コーチと重ねる関係者も少なくなかった左腕。3軍戦で経験を積んだ1年目を終えた矢先、思った以上に試練は早くやってきた。

 2年目に左肩を痛め、シーズン終盤に手術を決断。3年目は完全に棒に振り、球団側から戦力外を通告されて育成選手となった。5年目の2015年になってようやく、2軍戦で9試合47イニングを投げ、3勝2敗、防御率2.11をマーク。シーズンオフには支配下に返り咲いたが、翌2016年に再び左肩の手術を余儀なくされ、たった1年で育成に戻った。メスを入れても完全に不安はなくなるわけでもなく、2017年限りで“最後の戦力外”を受けた。

 長い目で復活を待ってくれた球団への感謝は忘れない。「評価していただいていたので、何とか投げられるようにという気持ちはありました。結果的には期待に応えられずに申し訳ないなと」。ただ、まだ24歳。諦める選択肢はなかった。「どうにかして、野球をやりたい」。NPB球団からは声がかからず、ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに新天地を求めた。

独立L栃木で3年間登板なし、引退決意も記念出場のトライアウトで…

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