3度の戦力外、NPB時代の貯金を切り崩す日々…元鷹左腕が5年半ぶりに迎えた登板
独立L栃木で3年間登板なし、引退決意も記念出場のトライアウトで…
生活をしていくだけの手取りはあったが、故障の影響ですぐに給料のない練習生契約に。同じ待遇の選手たちは練習後にアルバイトをしているが、その時間を治療に充てた。いいと聞けば、全国どこの病院や治療院だって訪ねた。「本当はバイトしないといけないんでしょうけどね…」。貯金を切り崩しながら、当座の生活費を捻出。「ソフトバンク時代の契約金とかが一応、残っていたので」。それでも通帳の残高は、月に10万単位で減っていく。チームメートと近くのスーパーの特売日を連絡し合い、できる限り切り詰めた。
肝心の肩の状態は、なかなか上向かない。結局、栃木では1試合も投げられないまま3年が経過。腰にもメスを入れた。さすがに、第2の人生を直視した。「家族に最後のユニホーム姿くらい見せてあげれれば」。昨年12月、新庄剛志氏の参加で注目を集めた「プロ野球12球団合同トライアウト」を受験。“ラスト登板”のはずで上がったマウンドで、思いもよらない感覚が全身に宿った。
「球速は全然でしたが、ちゃんと投げられたんです。今まで周りから『痛みは気持ちの問題だから』と言われても、それ違うと思ってきました。でも、最後だからって腹をくくったら、投げることができたという事実もあって……。気持ちの問題もあったんかなーって思わされたのと同時に、まだ野球を続けろってことなのかといい方向に捉えちゃいました」
ほぼ消えていたはずの火が、瞬時にして燃え立った。今年2月、栃木と同じBCリーグに所属する茨城アストロプラネッツと練習生として契約。10年も悩み続けてきた肩への気遣いを続けながら、まずは選手契約を見据える。その先にはNPB返り咲きの青写真も描くが、何より自らの胸の内を大事にしながら現役を続けたい。
「これまでみたいに追い詰められているというよりは、自分の中で少し気持ちの余裕を持ちながらやれています」
余念のない治療やケアを続けるが、また体が悲鳴を上げるかもしれない。たとえ持ち堪えることができたとしても、いつかは誰にだって現役引退の瞬間は訪れる。「選手」ではなくなる恐怖に怯えるより、清々しくユニホームが脱げるか。そして、リハビリの日々が無駄ではなかったと胸を張れるか。目の前の一日に没頭することこそが、答えへの近道だと信じている。
(小西亮 / Ryo Konishi)