女子指導歴10年の阪急ドラ1右腕 人口約2000人の町にあるクラブGMに「プロを出したい」
石井宏氏は京都と札幌の高校で女子野球部の監督を歴任
諦めなければ、道は開ける。現在、北海道の女子硬式野球クラブチームのホーネッツ・レディースでGMを務める元阪急の石井宏氏は阪神退団後、サラリーマンとして働きながら高校野球の監督になるチャンスを待ち続けた。実現したのは引退から22年後。2011年秋に京都両洋高女子硬式野球部の初代監督に就任し、48歳で指導者としての道を歩き始めた。
自分自身に設けた“夢を諦める期限”まであと2年だった。神戸市内にある航空貨物の代理手続き業務を行う会社で営業と倉庫業務を担当して20年。実直な仕事ぶりが評価されて、取締役への抜擢も打診されたが「50歳までに監督の話があったら(会社を)辞めさせてください」とお願いし、固辞し続けていた。「あと2年、何の話もなければ、今もあの会社で働いていたと思います」と石井氏は語る。
高校野球の監督になることは、現役引退を決めた時からの夢だった。1985年のドラフト会議で阪急から1位指名を受けて日大からプロ入りしたが、右肩を痛めて、1軍での登板は10試合、2勝3敗の成績で終わった。阪急3年、阪神1年の計4年の現役生活。引退後は打撃投手としての道を断り、教師の道を志した。
当時、故障に泣いたドラ1右腕が高校野球に懸ける夢を語った記事が新聞に掲載されると、すぐに3つの高校からアプローチがあった。「ただ、あの頃は10年間教員をしないと高校野球の指導に関わることができなかったんです。そのことを先方に伝えると、じゃあダメだということになりました。これでは高校野球の指導者は難しいなと実感しました」と夢を一時封印した。
西宮市内の運送会社のドライバーを経て神戸市内の会社に就職後、2人の息子が所属していたリトルシニアのチームで指導を始めた。サラリーマンをしながら、縁があればとチャンスを待ち続けた。転機がやってきたのは48歳の時。スポーツメーカーの知人が、女子硬式野球部を立ち上げて監督を探していた京都両洋高を紹介してくれた。