日本人初“幻の160キロ”右腕の今 猛批判のメジャー挑戦に「悔いなんかない」
5か国を渡り歩き2010年に現役を引退も…マスターズ甲子園の存在を知り“現役復帰”
米国生活の5年間で3Aまで昇格を果たしたが、期待していた姿とは程遠く、メジャーの舞台に上がることはなかった。その後は中日、台湾、イタリア、中国、社会人野球、独立リーグと渡り歩き2010年で現役を引退。
160キロの剛速球が最大の武器と思われがちだが本人は「変化球ピッチャーなんですよ」と笑う。マウンドに上がると捕手のサインにはほとんど首を振らなかった。「真っすぐは投げたらどこ行くか分からない。プロにいる時はキャッチャーとの会話もしてなかった。首振ってもいいけど、自分がアホでしたね(笑)。求められているのは真っすぐだったんです」。
現在は仕事を行いながら母校の神戸弘陵で男子、女子の硬式野球部でコーチを務めている。休日は高校時代の先輩から誘いを受け、草野球に参加し汗を流している。今年で50歳を迎えるが“現役復帰”を果たし、素人、経験者らが揃うチームを相手に勝負を挑み純粋に野球を楽しんでいる。
体の衰えには逆らえないが、肩の調子が良いときには130キロ台も記録する。再びマウンドに上がった理由は、高校野球部OBたちが目指すマスターズ甲子園だ。「甲子園に行けなかった後輩、先輩たちをあの舞台でプレーさせてあげたい。少しでもその役に立ちたいなと。あとは純粋にマスターズにハマりました」と笑顔を見せる。
賛否両論、大半は批判を受けたメジャー挑戦とは何だったのか――。夢を追いかけ続けた前田氏は「悔いなんかは一つもない。あの時に戻ってもそりゃ行きますよ。日本が下で向こう(メジャー)が上とかじゃないけど、抑えたヤツが上がっていく。分かりやすい力の勝負です」と振り返った。