女子高校野球の“悲願”成就に感激の涙… 片岡安祐美さんが語る聖地・甲子園

2005年からは茨城ゴールデンゴールズの一員となり、男子と同じ土俵でプレーし続けた【写真:荒川祐史】
2005年からは茨城ゴールデンゴールズの一員となり、男子と同じ土俵でプレーし続けた【写真:荒川祐史】

「みんなの想いがバトンになって、何十年と受け継がれて今に…」

 一朝一夕には歴史は動かない。ここに至るまでには「女子が野球なんて」と言われながらも、諦めずに野球をプレーし続けた先人たちの勇気があった。

「日本には戦後2年間だけ(1950~51年)女子のプロ野球リーグがあって、その時に選手だった高坂峰子さんは80歳を超えた今でも大阪で野球をプレーなさっている。その後、大学に女子軟式野球部ができたり、私が中学生の時には東京大学の竹本恵さんと明治大学の小林千紘さんが女性選手同士の投げ合いをしたり。私、お2人が投げ合った試合の新聞記事をスクラップして持っていました。そういう諸先輩方の頑張りや活躍する姿を見て、私もやれるんだ、と勇気をもらいました」

 高校時代から女子日本代表チームに選ばれる一方、2005年からは茨城ゴールデンゴールズの一員となり、男子と同じ土俵でプレーし続けた片岡さん。その姿に憧れ、勇気をもらった後輩もいる。3月に訪れた広島・廿日市市でこんな一幕があったという。

「女子野球タウンに認定された廿日市市で野球教室に参加した時、阪神タイガーズWomenの三浦伊織選手と板東瑞紀選手、京都文教大学の小西美加総監督とご一緒しました。そうしたら、板東選手とは初対面だったんですけど、小学校の時に中学でも野球を続けようか迷っていたら、担任の先生がゴールデンゴールズでプレーする私の記事を切り抜いてプレゼントしてくれたくれたそうなんです。『おかげで中学でも野球を頑張ろうと思いました。その時の記事、まだ持っています』って言ってくれて、すごくうれしかったですね。

 私は竹本さんと小林さんの記事に励まされ、板東選手は私の記事を持ってくれている。その板東選手は今、小学生たちに夢を与えているわけで。こうやってどんどん繋がっていくことで歴史は作られる。女子野球選手はみんな、目標を聞かれると誰が教えたわけでもないのに、必ず口を揃えて『女子野球を広めることです』って言うんですよ。それぞれが野球を続けてきた中で、少なからず『女子だから』と区別されてきたから、後輩たちにはそういう想いをさせたくないんです。そういうみんなの想いがバトンになって、何十年と受け継がれて今に至るんじゃないかと思います」

「マスターズ甲子園」で目指す夢の実現「ひっそりと現役引退しています」

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