ダルビッシュら育てた高校野球の名将 若生正広さんが最後に中学生を指導した訳

リトルシニア日本選手権とジャイアンツカップ“2つの全国大会”に出場

 今年6月に行われた日本選手権の東北予選。東北福祉仙台北リトルシニアは準決勝で青森山田シニアに0-3で敗れた。試合後、中町監督は「すみません。負けました」と若生さんに報告。「『何やってんだよ』とちょっと怒られました」。ただ、出場枠は3つ。「3位決定戦に勝つと全国大会に出場できるので頑張ります」と誓い、6日後の3位決定戦で6-0の勝利。7年ぶり3度目の日本選手権出場をつかんだ。

 その翌週に行われたジャイアンツカップの東北大会では、南東北ブロックで優勝。本大会への初出場を決めた。「第49回日本リトルシニア日本選手権大会」(8月2~6日、仙台市民球場ほか)と「第15回全日本中学野球選手権大会ジャイアンツカップ」(8月16~20日、いわきグリーンスタジアムほか)。東北福祉仙台北シニアは、この夏に開催される2つの全国大会に出場することになり、「若生先生はすごく喜んでくれていました」と中町監督。しかし、練習や大会へ「また見に行くよ」と言って矢先に体調が悪化した。

 7月25日の21時56分、中町監督のスマートフォンが鳴った。「中町、すぐに来てくれ」。若生さんからだった。高校生の息子を連れ、若生さんの自宅に駆けつけた。高校時代の同級生や先輩に「来た方がいい」と連絡し、寝返りの補助やマッサージをし、身の回りを整えた。2日後の27日、午前6時18分、若生さんは息を引き取った。

「若生先生は教え子の子どももすごく可愛がって、面倒を見てくれました。野球部だけでなく、男女問わず、生徒の名前をフルネームで覚えている。妻も東北の陸上部で若生先生の教え子なんですけど、すごく可愛がってくれて。本当に生徒から愛されていましたよね」と中町監督。砂田さんによると、サッカー部やテニス部など、他の部に所属していた当時の生徒たちが若生さんとの思い出をSNSに投稿し始めたという。「陸上部だった人も『練習中、若生先生に声をかけてもらって頑張れた』と」と砂田さん。そういった反応に教え子たちは、恩師が生徒へ注いできた愛情を噛み締めている。

 東北福祉仙台北シニアは2日、日本選手権で奈良西リトルシニアとの初戦に臨む。「いい報告ができるように選手と一緒に戦っていきたいなと思います。指導者ができることは、選手が力を発揮できる環境作りしかないと思うので。選手の力を引き出せるように働きたけたいなと思います」と中町監督。高校野球の名将が最後にアドバイスを送ってきた中学生たちが、全国舞台で躍動する。

(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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