西武レディース敗戦は「1番の挫折」 幾多の苦難を乗り越えた元西武右腕の復活劇
高校時は最下位番手から無安打無得点試合、大学時にイップスも克服し西武2位指名へ
その一方で、女子野球が発展し、自分の実力に対する不安もあった。「女子野球が発展していって、今後ウチのようなチームが出てくると思う。そうなると、NPBから指導に長けた方が参戦してきて、勝てないと『何が15年やってきた監督だ』とか言われてしまう。まさに今回の負けがそうでしたよね」。驕りとともに不安が現実のものとなった。
それでも、挫折を何度も乗り越えてきた男だ。中学時代に1度、野球を辞めバスケットボール部に所属。佐賀商に進学したが、当初は1番下からのスタートだった。「1年生は県内の強いチームから集まっていて、将来のレギュラーが確約されていた。僕は練習なんかさせてもらえず、補欠選手にノックをあげていた」。だが、猛練習の末、2年生で逆転し、エースの座を奪った。3年夏には、甲子園初戦の木造高(青森)戦で無安打無得点試合を達成し、一躍甲子園のスターになった。
ヤクルトからのドラフト2位指名を蹴って、駒大へ進学したが、挫折はまたしても訪れた。大学4年時に発症したイップスでNPBは指名を避けると、日本生命に進学。「自分の実力はそんなものではないと言い聞かせて練習を続けていました」。すると、ふとしたきっかけでイップスを克服。年月はかかったが、1991年に西武に2位指名され、プロの扉を開いた。
だからこそ、今回の挫折も新谷氏は次のステップへの課題だと思っている。「ジェットコースターみたいな人生ですから。またこのチームを1から立て直して、あっと驚かせて見せますよ」。女子野球は自分が引っ張ってきたという自負がある。幾多の困難を乗り越えた男は、監督としても再起を誓った。
(川村虎大 / Kodai Kawamura)