「厳しさを思い知らされた」 勇退する浦和学院、森監督が感じた“甲子園の難しさ”
「4番・捕手」の吉田瑞主将「監督と過ごした日々の全てが思い出です」
全49校最後の登場となった浦和学院(埼玉)。県大会決勝から3週間と実戦から遠ざかる中、終盤の追い上げもあと一歩及ばず日大山形(山形)に3-4で敗れた。今大会を最後に勇退する森士(もり・おさむ)監督は30年間の監督生活に別れを告げた。
1点を追う9回。2本の安打と四球で2死満塁、打席には4番・吉田瑞樹捕手(3年)と舞台は整った。だが、日大山形の2番手・滝口琉偉投手が投じた142キロ直球に詰まり、遊ゴロに倒れ試合終了のサイレンが球場に響き渡った。
1991年に27歳の若さで監督に就任。2013年の選抜優勝など、これまで春夏通算30勝をマークした名将・森監督は“最後の聖地”を「甲子園で1勝するという厳しさを新たに思い知らされた試合でした」と振り返り、苦笑いを浮かべていた。
幸先よく初回に2点を先取したが、序盤に4点を失い最後まで試合をひっくり返すことができなかった。悪天候での順延などで調整も難しかったが「1球に対する判断力、決断力、ゲーム感が離れたところが大きく、色濃く試合の中で出てしまったのかなと」と振り返った。
1日でも長く監督と試合をする――。その思いを胸にグラウンドに飛び出して行った選手たちも甲子園で勝つ難しさを痛感した。「4番・捕手」としてチームを牽引した吉田瑞樹主将は「何とか1点を返して試合を終わらせたくなかった。本当に悔しい。厳しさの中にも愛情があって、監督と過ごした日々の全てが思い出です」と涙が止まらなかった。
最後の甲子園で勝利を手にすることはできなかったが、森監督に悔いはない。
「(甲子園は)最高の舞台と改めて思った。コロナ禍での開催に感謝の思いでしかない。いつか、また大観衆が戻ってきた甲子園で高校球児がプレーできることを望んで終わっていきたいと思います」
数々の名勝負を演じてきた指揮官は清々しい表情を見せ聖地を去った。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)