コロナ禍に負けないチーム作りのヒント 弘前学院聖愛を甲子園に導いた改革とは
暗算ランニングで集中力向上――体力、知力、精神力に磨き
県の対外試合禁止期間後にできた練習試合はわずか6試合だったが、指揮官は「ホームランが試合数の倍くらい出たんですよ。これは成果が出たなと思いました」とニヤリ。冬が明けて春になると、飛距離が伸びたり、球速が上がったりと努力が目に見える。同じ現象が7月に起こったが、手放しでは喜べなかった。パワーアップし、ゲーム勘も戻ったものの、試合で競る機会がなかったのだ。
「ビハインドも経験しない。だから、ランニングメニューで追い込みました」と原田監督。それもただ走るだけじゃない。グラウンドの2ヶ所にマネジャーがいて、その前を通過する時に足し算、引き算、掛け算、割り算、そして「たまに√(ルート)も混ぜて」(原田監督)の暗算を課した。メニューの合間には、集中力を保たせることを目的に硬式球を縦に2つ積む「ボール積み」も入れた。設定タイム以内にできなければペナルティがあり、周囲を気にして焦りも出てくる。走って心拍数が上がっている中、雑念を取り払い、いかに集中できるか。こうした練習で体力、知力、精神力に磨きをかけた。
青森大会では5試合で計7本塁打が、それも効果的に飛び出し、ビハインドも跳ね返して8年ぶりの頂点に。原田監督は「去年の3年生が残してくれた勝利だったと思っています」と言った。昨年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で甲子園を目指すことすらできず、県独自大会は8強だった。指揮官が「去年は強くはなかったですけど、本当に、めちゃくちゃ最高のチームだったんですよ」と胸を張るほどのチームで、主将を務めていた斎藤拓哉さんがこの夏、練習を手伝ってくれた。医学部を目指して浪人中の斎藤さんは、勉強の合間を縫って「最高で最強のチームになろう」と甲子園を目指す後輩たちをサポート。今年の甲子園には2年分、いや、何年分もの思いが詰まっていた。
女子校だった弘前学院聖愛は2000年に男女共学となり、01年に野球部が創部された。以来、指揮を執る原田監督はさまざまなチャレンジをしながらチームを作ってきた。地区大会を勝てるようになり、県大会で上位に進出するようになり、東北大会に出場するようになり、青森県の新興勢力として地位を築いてきた。そして13年夏、悲願の甲子園初出場。さらに2勝を挙げる快挙を果たした。だが、そこからの8年が「長かったですよ!」。2018、19年と2年連続で青森大会決勝に進出したが、いずれも光星の前に涙した。
その間も挑戦や改革を続けてきた。1つは「ノーサイン野球」だ。攻撃中、監督は腕や帽子を触り、打者や走者にやってほしいことをサインにして送る。だが「指示待ち人間を作りたくない。野球は無数無限の状況がある。自分たちで判断してほしい」との考えから、原田監督はサインを出さないようになった。その場面で何を選択するか、それは練習の中で詰めておく。試合中のベンチでは「1点を取りにいこう」「ランナーを溜めていこう」「出たらどうする?」といった情報を共有する会話が自然と起こる。
チーム内のルールも撤廃した。以前はお菓子や炭酸飲料を口にすることや男女交際、SNSなどチームで決めた禁止事項が多々あった。「禁止だからやらない、ということではなく、なんのためにお菓子を食べないのかなど、本質を追求できる人間になってほしいんです」。何かを成し遂げようとしている時に、その選択や行動は正しいのか。その時間の使い方でいいのか。決まりだからという理由でやらないのではなく、自分で考え、選択することで自立を促す。髪型も自由にしたため、短髪の部員もいれば、丸刈りの部員もいる。