DeNA宮國はなぜ復活できたのか? 指揮官が語った1518日ぶり白星の要因
三浦大輔監督が語った宮國復活の支えとなったのは…
沖縄・糸満高から2010年ドラフト2位で巨人入りした宮國は、2年目の2012年に巨人では29年ぶりとなる10代での初登板初先発勝利を挙げるなど、6勝(2敗)をマーク。翌2013年には20歳で開幕投手に抜擢され、将来のエースと期待されたが、その後は右肩痛で伸び悩んだ。昨季も21試合に投げて0勝0敗、防御率5.33。不振に右肩痛が重なり、自由契約となった。
2月の春季キャンプの時期になっても所属球団が決まらず、孤独な調整を続け、3月にDeNAの入団テストを受けて背番号「106」の育成選手として契約。当初は2軍戦でも打たれる日が続いたが、「6、7月にいい感じになってきた。自分で思っていたより速いスピードで状態が上がってきました」。8月28日のイースタン・リーグ巨人戦に先発して6回6安打無失点の好投を演じ、同30日に支配下登録と背番号65を勝ち取ったのだった。
2軍で登板を重ねながら、三浦監督が前述したようなモデルチェンジを進めていた。指揮官は「コーチのアドバイスもあっただろうが、R&D(Research & Development)グループ(IT機器を駆使して分析、アドバイスなどを行う部署)の下で動作解析に取り組んでもらったこともあった」と明かし「宮國本人も以前の姿を求めるより、今の状態でどうやって打者を抑えるかを工夫したことが、この結果につながった」と振り返った。