「野球できず、仕事も辞めて…」 自ら“就職先”見つけた元燕右腕、退路断つ現役続行
現役復帰を賭けたWBC予選に通訳を辞めて参加も、コロナ禍で無期限の延期に
新型コロナウイルスの感染拡大は日常生活だけでなく、野球界にも深刻なダメージを与えた。プロ野球が開幕延期や無観客になる一方で、野球人生の岐路に立たされた選手もいた。元ヤクルトでブラジル代表としても活躍したラファエル・フェルナンデス投手だ。
「野球もできずに仕事も辞めたからもうどうしようと……」
2020年3月、米アリゾナ州で開催されるはずだった第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の予選が、直前で無期限の延期となった。この大会に並々ならぬ思いで参加していた35歳右腕が、ショックを隠せなかったのには大きな理由があった。現役復帰のチャンスに賭け、2017年途中からスペイン語の通訳を務めていた日本ハムを退団していたからだ。
2008年ドラフト会議の育成1巡目で白鴎大からヤクルト入りしたフェルナンデスは、2011、12年には1軍で10試合に登板。1勝を挙げたものの2013年オフに戦力外通告を受けた。その後は独立リーグやクラブチーム、豪州ウインターリーグでなどでプレーを続けたが、2017年には所属チームがなく通訳の仕事に。それでも「まだ選手としてやりたい気持ちを(球団には)伝えていたんです」と、現役復帰を諦めてはいなかった。
しかし、通訳の仕事を捨てて挑んだ大会は無念の中止。失意のうちに日本に戻ってきたが、「奥さんもいて、子どもも生まれたので……」と落ち込んでいる暇はなかった。プロ選手の多くはチーム探しなどの交渉を代理人に任せるが、フェルナンデスの場合は全てを1人でやる。「自分から色々なところに声をかけました。エージェントがいないからそういうことも自分でやるしかない。そうしないと次がないですね」。そんな中で練習生としての契約を申し出てくれたのがルートインBCリーグの茨城アストロプラネッツだった。
ブラジルのサンパウロ出身で、大学入学とともに来日した異色の右腕が苦境に立たされたのは今回が初めてではない。2016年にWBC予選に出場した際にもクラブチームを退部。野球とは無関係の仕事をしながら、やっと声をかけられたのが日本ハムの通訳だった。では、なぜ退路を断ってまで現役にこだわるのだろうか?