花巻東→日本ハムの8年間、大谷翔平がつけた“日誌”の存在 目標達成への必携ツール

エンゼルス・大谷翔平【写真:Getty Images】
エンゼルス・大谷翔平【写真:Getty Images】

高校1年生から8年間、原田メソッドの中で徹底的に磨かれた

 今季“投打二刀流”としてシーズンを完走し、前例のない活躍を続けたエンゼルス・大谷翔平投手は、一体どのような成長過程を歩んで、これほど突き抜けた存在となったのだろうか。その道のりで大きな役割を果たしたのが、毎日つける“日誌”だ。原田教育研究所を主宰する原田隆史氏に、日誌の意味と効用を聞いた。

 大谷翔平が成長を文字として刻み付け有名になったものに、9×9=81マスの中に、自身の「8球団からドラフト1位指名を受ける」という目標とそこに至るための手段を綴った“大谷マンダラ”がある。これは正式名称を「オープンウインドウ64」といい、原田氏が成長と目標達成のために提供するツール“原田メソッド”の一部を成す。

 花巻東高時代の大谷はこれを少しずつ磨き、在学中に全16枚を書き上げた。ただ原田氏は「マンダラだけが独り歩きしていますけど、そこばかりを見ていてもダメなんです」と繰り返す。メソッドの一部にしか過ぎないからだ。

 さらに成長物語を深堀りすると、たどり着くのが日誌の重要性だ。大谷は高校3年間のみならず、日本ハム入りしてからも原田メソッドの中で磨かれた。千葉県鎌ケ谷市の日本ハム選手寮で、選手教育を担当している本村幸雄氏は元々、光明相模原高(神奈川)の野球部監督で教諭。さらに原田氏が開いてきた「教師塾」の門下生でもあった。

 寮では本村氏の管理のもと「時を守る、場を清める、礼を正す」という成長のための3原則にのっとり、清掃活動や靴を揃えるといった教育が徹底されていた。さらに成長のヒントになる書籍を集めた文庫が作られており「大谷翔平に、日本ハム球団としてもメソッドを落とし込んでいったんです」と原田氏。高校1年から渡米するまで、都合8年間の“一貫教育”は、大谷にとっても幸運だった。

「今日の練習で何をするか、先に決めてから1日を動くんです」

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