就活先の社長が“入社拒否”「プロ目指せ」 早大準硬式の理系外野手が果たす約束
進学校の江戸川学園取手で評定平均4.9、早大基幹理工学部に指定校推薦で進学
西武新宿線「東伏見駅」からイチョウ並木を歩いて左手にある早大東伏見グラウンド。硬式野球場の隣で、もう1つの野球部が活動をしている。スポーツ推薦の枠もなく、グラウンドはラクロス部と併用。決して恵まれた環境ではないが、今年、そこからプロを目指す選手がいる。準硬式野球部で副将を務める関大輝(せき・だいき)外野手(4年)だ。決断に至るまでにはさまざまな葛藤や悩みがあった。
野球を始めたのは「0歳から」。野球好きの父の影響で、物心がつく前からバットを握っていた。中学校時代は「船橋シニア」で4番を務め、強豪校からも声が掛かったが、選んだのは偏差値70を超える進学校、茨城・江戸川学園取手高だった。「東京六大学で野球をやるのが夢だったので、甲子園より六大学に行くにはどうしたらいいかという考えで選択しました」と語る。
船橋市の自宅から高校までは、片道1時間半。朝練習もあったため、朝5時半に家を出て、午後10時に帰宅する日々だった。勉強場所は主に電車の中。それでも努力を怠らず、高校時代の評定平均は4.9。早大基幹理工学部の指定校推薦の枠を勝ち取った。
神宮球場でのプレーを夢見て硬式野球部に入部したが、授業の時間割を見て絶句した。土日曜日以外は、授業がぎっしり。「『え……無理じゃん』って思いました」。「留年してもいいから」と両親は継続を希望したが、学生の本分は勉強だと入学早々に退部を決意。準硬式野球部が本気で野球に取り組んでいるのを知り、1年の5月に入部した。
チーム練習に参加できるのは土日のみ。平日は授業の合間を縫って自主練習や地元の仲間とのキャッチボールなどをこなした。難しい環境の中でも頭角を現し、すぐにクリーンアップを任された。2年春から3季連続でベストナインに選出(3年春のリーグ戦はコロナ禍で中止)され、3年夏の全国大会の代替大会で打率.538を記録し、最優秀打者賞に輝いた。一方で、3年生になると周囲は就職活動を開始。関自身も当初は一般企業への就職を考え、実際に活動も行なっていた。