西武が1位指名を公表 ドラフトの目玉に挙がる西日本工大・隅田知一郎の転機と決断

西日本工大・隅田知一郎【写真:福谷佑介】
西日本工大・隅田知一郎【写真:福谷佑介】

波佐見高からなぜ全国的な知名度は高くない西工大に進学したのか?

――その他にもポイントはあった?
「その後の秋のリーグ戦では7、8球団のスカウトが見に来てくれて、150キロも出せました。あとは、今年の春のリーグ戦と神宮(全日本大学野球選手権)ですね」

――波佐見高校から、なぜ全国的にあまり知られていない西工大へ進学したのでしょう?
「高校の時にはプロは全く意識していませんでした。高校2年の時に怪我して、その2日後に声を掛けてくれたのが(西工大の)武田監督でした。進路のことは何も考えずにとりあえず夏大会でマウンドに戻りたい気持ちと、甲子園に行きたいということだけ考えてやっていきました。そうしたら、夏の大会で投げることが出来て、甲子園にも行けました。甲子園の後には、大学や社会人から色々と誘いは頂きましたが、最初に声をかけてもらった西工大で頑張ろうと思いました。(早い段階で決まったので)進路の心配をすることなく高校野球に打ち込めました」

――甲子園に出てプロへの意識は芽生えませんでしたか?
「自分たちの代は“清宮世代”なので。甲子園の最多本塁打記録も更新した選手(中村奨成、現広島)のいる世代で、凄い選手ばかりでした。甲子園で、これが全国レベルかと感じたので、大学で頑張ろうと思いましたね」

――プロを意識するようになったのはいつからですか?
「大学に入ってからですね。武田監督にずっと『お前はプロに行け』と言われて。『プロに行ける』とかではなく『行け』と(笑い)。そう言われて、徐々に意識するようになりましたね」

――それまでは大学で野球を続けよう、くらいの気持ちだった?
「そうですね。西工大は就職率がいいので、それも含めての進学でした。プロが無理だったら、就職するつもりです」

――武田監督に「プロに行け」と言われた時、実際どう感じましたか?
「1年春からもう試合に出してもらっていました。先輩たちの足を引っ張るわけにはいかないですし、自分が成長しないと勝てないとずっと言われ、自分でもそう思ったので、そういう気持ちでずっとやっていました」

――チームを勝たせるためにプロに行けるような投手にならなきゃいけないと?
「はい。人より努力しろとずっと言われてきました。継続力はあると思います。やると決めたことは、ずっとやれるので。コロナが流行する前は、寮からグラウンドまでの5.5キロを毎日走って行って、走って帰ってきていました。練習でもランニングメニューがあるので1日15キロくらい走っていました」

――地道なトレーニングが下半身を強くした。
「めちゃくちゃ強いわけではないですけど、前の自分に比べたら強くなったと思います。握力とかも弱いんですよ。左は50キロもないですし。手術しているので左は少し弱くて、右の方が強いです」

177センチ、76キロの体格でも最速150キロ「投げ方をわかっているからですかね」

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