生死さまよった父、前例なき手術、イップス…元ドラ1左腕が引退固辞して選んだ戦力外

元ヤクルトの村中恭兵氏【写真:荒川祐史】
元ヤクルトの村中恭兵氏【写真:荒川祐史】

現役を引退した元ヤクルト・村中恭兵氏、壮絶だった故障との戦い

 眼鏡をかけ、カジュアルなデニム姿だからだろうか。いや、少し穏やかになった表情のせいかもしれない。この秋、現役のユニホームを脱いだ事実が、雰囲気から伝わってくる。元ヤクルト投手の村中恭兵氏。NPBの世界を戦力外となった後、2年間プレーを続けた。16年間のプロ生活。「解放された感はありますよね」。寡黙な印象を持たれることも多い左腕が、今ゆっくりと思いを語った。【小西亮】

 最終地点は、独立リーグのマウンドだった。ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに今季加入し、9先発を含む17試合に登板。結果こそ2勝5敗1セーブ、防御率4.06だったが、「NPBで投げても抑えられるくらいの球は投げていた」と客観視する。元ロッテの成瀬善久兼任投手コーチからも「もう1年やりなよ」と勧められた。それでも、首を縦には振らなかった。「NPBに戻れなければ辞めるという覚悟でやっていたので」。34歳を前にした引き際だった。

 2005年の高校生ドラフトで1巡目指名を受け、始まったプロ人生。2010年に11勝、2012年には10勝を挙げた。20代後半へと向かい、ヤクルト先発陣を支える存在へとなりかけたころ、不意に風向きが変わった。プロ9年目の2014年春、腰に痛みが走った。わずか7試合の登板にとどまっただけでなく、翌2015年にさらなる追い討ちを食らった。

 右打者の外角を狙って投げた球が、打者の背中に当たった。「プロだったらあり得ない」。たった1球で、イップスが発症した。

「どんどん悪くなっていく一方で、かなり酷かったです。いつ出るか分からなくて、投げるのがめちゃくちゃ怖かった」

 今なら腰の痛みが影響していたと分かるが、自他ともに当時は精神面の病を疑う向きがあった。チームは14年ぶりのリーグ優勝を飾った中、1軍登板なし。「絶対にクビ」。覚悟をしたが、球団は来季の契約を用意してくれた。徐々に投げる距離を伸ばしていくリハビリを重ね、何とか克服。「あの時は死ぬほど投げましたね」。冗談ではなかった。

痛みを抱えながら続けた登板「走ったら次の日は歩けない」

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