選手の心意気で転身を決意 元阪神・木戸克彦氏が力を入れる女子野球発展の土台

選手への声掛けに生かされる長い指導経験

 PL学園3年の時には、捕手として春夏連続甲子園出場。特に夏は、奇跡的な勝利を重ねたことから「逆転のPL」と呼ばれ、旋風を巻き起こした。決勝でも高知商を9回裏に逆転サヨナラで破り、全国制覇を成し遂げている。法大進学後も東京六大学リーグを3度制覇。1982年ドラフト1位で阪神入りし、球団史上初の日本一に輝いた1985年には正捕手として活躍。ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を受賞した。

 現役引退後も阪神一筋で、コーチや2軍監督などを通算14年務めた。どちらかと言うと“コワモテ”と見られていると自覚していただけに、女子を教え始めた当初は細心の注意を払ったという。ミーティングに際し、関係者からは「個別でなく、選手全員を見ながら均等に話してください」とアドバイスを受けたこともある。

 これまでの経験から「これは男女共通のことですが、今どきの若い選手は圧力がかかると、しなることができず、ポキッと折れてしまう。踏ん張ることができる選手が減りました」と実感。「叱るにしても『おまえらしくないぞ』とか『以前はできていたぞ』といった(励ます)言葉を添えるようにはしています」と明かす。

 現役引退後の阪神ではバッテリーコーチを務めることが最も多く、野村克也監督時代の2001年などはピンチでマウンドに駆け付ける役割も担った。通例では投手コーチの仕事だが、「投手担当であってもキャリアが浅く配球の分からないコーチであれば、マウンドに行っても『頑張れよ』くらいしか言えない。短い時間でポンポンポンと要件を言えるのは、捕手出身のバッテリーコーチだと思います」と持論を語る。「最初に心を開くような一言をかけ、それから細かい話に入っていく」のが秘訣。長い指導経験は現職にも生かされている。

女子選手に促す指導者への道「女性にしか分からないこともある」

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