元阪神マートン氏が語る“成功”の要因 日米の違いと「手を差し伸べてくれた」同僚は
投球スタイルの理解、球団のサポート、謙虚な姿勢が成功を生んだ
「スプリットやフォークの“奥行き”を理解すること、それを乗り越えることが私史上最大のチャレンジだったかもしれない。キャンプ当初はそれができず、いいパフォーマンスができなかった。批判も受けた。振り返ってみると、あそこで成功の糸口を見つけることができなかったら、私のキャリアは終わっていたかもしれないね」
球団の手厚いサポートも助けになったという。阪神はマートン氏一家のために住居を手配。当時妊娠していたマートン氏の妻の日常生活を助けるために通訳が用意された。マートン氏も日本に溶け込もうと努力した。米国を離れて日本でプレーした元選手や日本で働くビジネスリーダーたちの話を聞いた。時に傲慢な外国人選手がいるという評判を聞いていたことから「そんな選手にはなりたくなかった」と振り返る。
さらに助けになったのがマートン氏と同じ2010年に阪神に加入した城島健司氏(現ソフトバンク球団会長付き特別アドバイザー)の存在だった。2006年から2009年までマリナーズに在籍した城島氏は「私に手を差し伸べてくれた」とマートン氏。「それはとても大きなことだった。いつも『調子はどう?』って感じで様子を確認してくれたんだ」と感謝を示している。
阪神を退団したマートン氏はマイナーでのプレーを経て2018年1月に引退し、その後はカブスのフロントオフィスでも勤務。MLBとNPB間の違いについての見地を持つ貴重な存在だ。最近は、米国で高校の野球チームのコーチを務めているという。
(Full-Count編集部)