「野球のことは忘れてください」元阪神外野手が明かす脳腫瘍を告げられた瞬間
宜野座キャンプで激しい頭痛、視界の左上に黒いライン
元阪神外野手、横田慎太郎さん。脳腫瘍を患い、プロ6年目の24歳だった2019年に現役引退を余儀なくされた。現在は故郷の鹿児島県を本拠に、講演活動などに取り組んでいる。衝撃的だった診断の瞬間、闘病の日々を本人に振り返ってもらった。
横田さんは2013年ドラフト2位で、鹿児島実高から阪神に入団。高校通算29本塁打を放った左投左打の外野手には、同年に引退したばかりの“代打の神様”桧山進次郎外野手が背負った背番号24が与えられ、期待の大きさをうかがわせた。そしてプロ3年目の2016年には、20歳にして「2番・中堅」で開幕スタメン。結局この年1軍では38試合出場、打率.190(105打数20安打)、0本塁打4打点にとどまったが、翌2017年2月の1軍キャンプのメンバーに選ばれた。
その沖縄・宜野座キャンプが始まると、横田さんは激しい頭痛に襲われ、さらに目が非常に見えにくいことに気付かされる。「視界の左上に黒いラインが浮かぶようになり、距離感もつかめなくなりました」。やがて、簡単なゴロをたびたび後逸する横田さんの異常に、中村豊コーチ(現中日2軍外野守備走塁コーチ)が気付き、沖縄県内の眼科医で診察を受けることになった。
「目薬をもらえば治るだろう」と高をくくっていた。しかし、眼科医にはすぐ脳外科へ行くよう指示され、そこで「脳腫瘍」という想像もしていなかった病名を告げられる。「昨日まで野球をしていたのに、病院に行ったら突然“脳腫瘍です”と言われ、次の言葉で“野球のことはいったん忘れてください”と言われた。頭が真っ白になって、その後は何を言われたか全く覚えていません」
大阪府内の病院でセカンドオピニオンを求めるも、診断は変わらず、入院し手術を受けることが決まった。横田さんはこの時、担当医師に「もう1度野球ができるように、神経には傷1本つけないでください」と訴えた。「自分は興奮していてはっきり覚えていないのですが、隣にいた母が聞いていました。確かにグラウンドには絶対帰りたかったですが、今思えば大変失礼なことを言いました」と振り返る。小学3年の時にソフトを始めた頃から、一途に野球のことだけを考えてきた横田さんにとって、野球を奪われることはありえなかった。