「人工芝が真っ白に…」元オリの大砲に走った戦慄、イチロー氏が200安打を達成した夜
共通の趣味はヒップホップ、イチロー氏が笑顔で話しかけてきたことも
日本シリーズではヤクルトに敗れたものの、今シーズンのオリックスは1996年以来25年ぶりにパ・リーグを制した。当時は仰木彬監督のもと、イチロー氏(現マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクター)を筆頭に選手の個性を重視するチームだった。「デカ」の愛称で親しまれた高橋智さんも、その1人。高橋さんは「イチローが笑うのは趣味の話をする時だけだった」と野球に取り組むストイックな姿勢を今も忘れていない。
オリックスが前回リーグ優勝したのは1996年。この年はパ・リーグを連覇し、日本シリーズでも巨人を4勝1敗で撃破。オリックスが最も強かった時期ともいえる。今シーズン、オリックスを優勝に導いた中嶋聡監督も所属。当時のチームは個性派集団で、主力野手にはイチロー氏(現マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクター)や田口壮氏(現オリックス外野守備走塁コーチ)がいた。その2人と外野を守っていたのが高橋さんだった。身長194センチ、体重100キロと大きな体から「デカ」と呼ばれ、通算124本塁打を記録。ベストナインに選ばれたこともある。
高橋さんが現役を退いてから約20年が経った。それでも、イチロー氏の記憶は、はっきりと刻まれている。「天才、天才と言われていましたが、努力の結果だと思います」。思い出すのはイチロー氏が史上初の200安打を達成した1994年。ナイター終了後、球団の寮に隣接する室内練習場でイチロー氏が打撃練習をしていた。「室内練習場の人工芝が真っ白になっていました」。室内練習場は、イチロー氏が打ち込んだ白球で埋め尽くされていた。しかも、高橋さんが、その光景を目にしたのは、イチロー氏が200安打を記録した日だった。
「野球をしている時に笑っているのを見たことがなかったですね。笑顔になるのは趣味の話をする時だけでした」
野球に対して一切の妥協がなかったイチロー氏と、高橋さんは共通の趣味があった。ヒップホップだ。高橋さんが個人練習をしている時にお気に入りの曲をかけていると、イチロー氏が笑顔で話しかけてきたことがあるという。高橋さんからイチロー氏に、おすすめの曲を紹介する時もあった。「イチローがよく聴いていたのはアメリカのヒップホップ。その中でもポップな曲ではなく、ずっしり重い感じのコアな曲でした。イチローは本来、先輩にも笑顔で話しかけるタイプだと思いますが、野球になると別の人間になるんでしょうね」。オンとオフ、イチロー氏の2つの顔を知る高橋さん。脳裏に刻まれた記憶は薄れていない。
○高橋智(たかはし・さとし) 1967(昭和42)年1月26日、横浜市生まれ。54歳。向上高から1984年ドラフト4位で阪急に投手として入団。野手に専念した1987年に1軍デビューし、1991年に23本塁打。1992年には自己最多の29本塁打を放ってベストナインを受賞した。1999年にヤクルトへ移籍、同年に16本塁打を記録した。2001年オフに戦力外通告を受け、翌2002年に台湾プロ野球に挑戦し、シーズン途中で退団、現役引退した。NPB通算945試合出場、打率.265、737安打、124本塁打、408打点。
(間淳 / Jun Aida)