木下雄介さんとの“最後のLINE” 遺影に流した涙…京田が乗り越える喪失の1年
家族ぐるみで付き合う親友「仲が良いと言うか、良すぎました」
穏やかに笑う遺影と向き合い、溢れる涙が抑えられない。「顔を見ると、ダメなんです」。突然の知らせから4か月。中日の京田陽太内野手は、ゆるやかに現実を受け入れようとしていた。肌を刺すような風が、本格的な冬の訪れを告げる12月の大阪。木下雄介さんの家を訪ね、祭壇にそっと手を合わせた。【小西亮】
どれだけ同じ時間を過ごしただろうか。2017年入団の同期。豪快に笑う1歳上の右腕とは、自然と波長が合った。日頃の食事や近場への釣り、ディズニーリゾート。両家でいろんな場所に出かけた。戦友というより、親友。プロの世界では、稀な絆だった。
グラウンドでは、躍動感たっぷりに投げ込む背番号98。プロ5年目の2021年は、オープン戦から好投を続け、1軍での居場所を掴もうとしていた。「めちゃくちゃいい球を投げていました」。京田が遊撃から見ていた背中はどんどん頼もしくなり、アウトを奪って振り返った顔は生き生きしている。一瞬にして苦悶の表情になるとは、思ってもみなかった。
3月21日、日本ハムとのオープン戦。8回に登板し、2死を奪った直後に本拠地が騒然とした。投げた瞬間、マウンドを外れてうずくまる。右肩の脱臼だった。
たとえ手術したとしても、再起は約束されないかもしれない。選手生命を賭す決断。約3週間後、右肘内側側副靱帯再建術(トミー・ジョン手術)と併せ、肩にメスを入れた。
復帰まで、少なくとも1年。長いリハビリ生活に向かう姿に悲壮感はなかった。だから京田は、今でも信じられない。ナゴヤ球場でリハビリ中だった木下さんが意識不明で救急搬送されたと知らされたのは、7月の蒸し暑い日だった。
球団側から聞く容態は、芳しくない。「野球を続けるのは無理だっとしても、元気な姿では会えるはず」。楽観的だったわけではない。急変する前日、交わしたLINEはいつも通りだった。