木下雄介さんとの“最後のLINE” 遺影に流した涙…京田が乗り越える喪失の1年

色の違う2足を入れ替え、左右別の色にした2人の「ガチャ履き」スニーカー【写真提供:京田陽太】
色の違う2足を入れ替え、左右別の色にした2人の「ガチャ履き」スニーカー【写真提供:京田陽太】

色の違う2足のスニーカーを「ガチャ履き」嬉しそうだった木下さん

 緑とオレンジ。色の違う2足の限定スニーカーを入れ替え、左右別の色にする。「ガチャ履きって言うらしいです」。2人で一緒に履いていた。街に買い物に出た際、立ち寄ったショップの店員からと羨ましがられた話を、木下さんは嬉しそうに報告してきた。軽妙に続いたメッセージのやり取りは、翌日からぷつりと途切れる。底抜けに明るいトーク履歴だけを残し、27歳の若さでおよそ1か月後にこの世を去っていった。

 8月3日、本拠地での試合後。ロッカールームに集められた選手たちに、球団代表から予期せぬ訃報が伝えられた。誰も言葉にならず、嗚咽だけが響く。「さすがに、こたえました」。思考が止まる。いつもは早く帰宅して2人の子どもに会いたいのに、何事もなかったようにパパを演じるのがしんどい。「帰って来たくないだろうな」。妻の葉月さんにも感じ取られた。憔悴して食欲はないのに、やけに目がさえて寝付けなかった。

「仲が良いと言うか、良すぎました。存在が近すぎて。僕には特別な人だったんです」

 友として、チームメートとして、選手会長として。ふさわしい別れの方法を考えた。9月5日の追悼試合で、木下さんの4歳の長女と2歳の長男による始球式を球団側に提案した。「お父さんはこういう場所で野球をしていたんだよ。すごい人だったんだよって伝えたくて」。当初予定にはなかったが、他の選手からも知恵を借りて実現させた。

追悼試合で適時打「一生忘れることのないヒット」

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