戦力外通告の1年前に“引退決断” 元鷹ドラ1を決心させたモイネロに喫した三振
プロ4年目の2008年オフには戦力外を覚悟「10年ぐらいはずっと隣り合わせ」
「怪我をして離脱したら、チャンスはまた遠のきますし……。朝起きると、まず痛いところがないか探すのが毎日のルーティンになっていました。野球の夢もよく見たんですけど、ボールが投げられなくなるとか、当たらなくなるとか、そういう夢ばかり見ていましたね。精神的に結構きてたのかもしれません。成功する夢はなかなか見なかったですし、どこかに恐怖心を抱えていたのかもしれません」
2005年に入団し、2019年までプレーした江川氏だが、2軍で打率.193、6本塁打と打撃不振に陥った4年目の2008年オフには戦力外を覚悟したという。
「せっかくプロ野球に入れたのに、教えてもらうことが多い反面、自分で『こうしたい』というのがなかったんです。その時に、こんなプロ野球生活でどうなんだ、と。何一つ自分で選択していないのに、クビになるのは嫌だな、どうせクビになるんだったら自分の思う通りにやって後悔のないように日々過ごしたいなと思ったんです。そこから10年ぐらいはずっともう戦力外と隣り合わせだと思っていました」
「いつその時が来てもいいぐらい、日々、毎日をちゃんと過ごそうと思いました。それが出来ていたら、後悔とかはないと思ったので。辞めた後にグダグダ、何かのせいにするのとかは、すごく嫌だったので。思い切ったことをしたいなと思ってやっていました」
もちろん潜在能力も高く評価されていたが、日々、このように全力に取り組む姿勢が球団にも届いていたのだろう。その後、10年間、現役を続けた江川氏だが、実は、戦力外通告を受ける1年前に引退を決心する出来事があった。