“新人特別賞”を生んだライバル物語 ドラ1の両投手を引き寄せた「運命」
通算50勝を挙げた日と4年目を終えた通算勝利数は全く同じ
こんな和やかなやりとりをする2人が、その翌年には新人王争いで日本を沸かせるなんて、当人同士も想像していなかっただろう。互いにドラフト1位指名され、大きな期待を背負いながらキャンプを過ごし、先発ローテーションの一角として開幕を迎えた。初めて経験するプロの世界。任せられた先発マウンドでチームを勝利に導くべく、必死に腕を振り続けた。
「無我夢中でやっている1年目でもニュースや新聞は見ますから、ニシが夏場にかけて調子を上げてくるのが分かるんですよ。やっぱり力を出してきたなと思ううちに、2人の成績が拮抗してきた。入団して3、4年目までは『投げ合いたい』と思う、本当にいい存在でいてくれました。ただ、初めて投げ合ったのも確か3年目。理由はお互いの監督に聞かないと分かりません(笑)。当時は予告先発がなかったので、いつ投げるのか、そこをよく取材されました」
成長や好成績の原動力としてライバルの存在が挙がることは多いが、阿波野氏にとって西崎氏は向上心を掻き立てられる存在だったのだろうか。阿波野氏は「間違いないですね」と力強く言い切る。
「お互いにそういう存在でいたいなという気持ちはありました。どちらかが結果が出なくて2軍にいるというのではなく、1軍でしっかり競い合いたいなって。それはおそらく、大学代表の頃からの流れだと思います。アメリカ遠征は一緒に練習しましたし、何か通じるものがあったんでしょうね」
デッドヒートを繰り広げたルーキーイヤーばかりか、その後も2人は通算50勝を同じ1990年5月20日に飾ったり、デビューから4年目までの通算成績が同じ58勝だったり、不思議と重なる部分が多かった。
「運命を感じますね。1998年の日本シリーズ、僕は巨人から横浜へ、ニシは日本ハムから西武へ移籍した年で、両チームが日本シリーズで対戦するわけです。この時、ニシはクローザーで僕はセットアッパー。ルーキーの時とは立場も役割も全然違うけど、同じ第3戦に登板する。なんだか面白いなって思いましたよ」
互いの野球人生にさらなる深みを与えてくれたライバルの存在。運命が引き寄せた2人の出会いが野球の歴史をも変えたのだから、まさに事実は小説よりも奇なり、なのかもしれない。
(佐藤直子 / Naoko Sato)