いま明かされる「もしもし甲斐です」の真相 東京五輪の金メダルに導いた“ウラ技”
ノックアウトステージ初戦のアメリカ戦で初めてブルペンへの電話を手にした
マウンドに上がった伊藤は先頭のロドリゲス、続くエリサルデを内野ゴロに封じ、2死走者なしでメネセスを迎えた。ここで甲斐はある事に気づいた。「あ、しまった。(内角を続けることを伊藤に)伝えていない」。東京五輪ではイニング間の攻守交代は90秒以内に制限されていた。その間に投球練習も行わなければならず、マウンド上で投手と捕手が言葉を交わす時間はほとんどない。実際、この時、甲斐と伊藤もサインの確認だけしか行っていなかった。
「こういう狙いがあってインコースに続けていくから、頑張って投げてくれ、と伝えていなかった。僕は『うわ、ミスった』と思ったんです」。意図を伝えないまま、甲斐は初球インコースを要求。伊藤も臆せずボールを投げ込んできた。2球目、3球目……。甲斐は内角を要求し続け、伊藤はこれに応えてボールを投げ続けた。
「まず大海のことを凄いピッチャーだと思いました。ルーキーなのに臆することなくしっかり投げ込んできてくれて。それと同時にすごく後悔しました」。結果的に三ゴロに打ち取って事なきを得たが、甲斐は激しく悔いた。8回には平良海馬投手(西武)がそのメネセスに2ランを被弾。「平良にも何も伝えていなかったんです。『さっき大海が全部インコースにいってるから、こういうふうにやっていこう』と話をしていればよかったのに。こんなことしてたら駄目だと思いました」。この日の後悔からブルペンへ電話するアイデアが浮かんだ。
ノックアウトステージ初戦のアメリカ戦。スタメンマスクは梅野隆太郎捕手(阪神)が被り、甲斐はベンチからのスタートだった。出番は9回の守備から。試合は6-6のまま延長タイブレークにもつれ込んだ。10回のマウンドには栗林良吏投手(広島)が上がる予定になっていた。無死二塁からのタイブレーク。「ちゃんと話しておかないといけないと思った」。この時、初めてブルペンへと繋がる電話を手に取った。
電話口には栗林本人が出た。まず、2人はサインを確認し合った。それから、5番のフレイジャーから始まる相手打線の並びから考えられる攻撃パターンについて確認し合い、バッテリーの間で意思統一を図った。栗林はフレイジャーを空振り三振に切ると、フィリア、コロズバリーも打ち取り、無失点で切り抜けた。その裏、甲斐のサヨナラ打で劇的な勝利を収めた。