プロ入り後も「東海大相模の小笠原くん」 6年かけて解いた“甲子園V投手の呪縛”

1軍デビューは交流戦の開幕、3年目には開幕投手…与えられてきた大舞台

 まだ寮にいた入団当初、つい置いてあるスポーツ新聞を開いて見ていた。気にしないようにしても、様々な批評が目に入る。心が乱される瞬間もあった。1億円の契約金をもらい、年俸も高卒では最高条件。ドラフト1位という肩書きがいかに特別で、“税金”のような好奇な視線がついて回ることも知った。

 チームが低迷にあえぐ最中、スタートを切ったプロ人生。将来を見据えた育成よりも、目先の1勝に舵が切られた。大きな舞台も与えられてきた。1年目のプロ初登板・初先発は、交流戦の開幕ゲーム。3年目には、開幕投手にも指名された。喉から手が出るほど結果が欲しい。躍動感たっぷりだったストレートは影を潜め、小手先で打ち取る姿がのぞいた時期もあった。結果が出ない日々が続くほど、“もうひとつの肩書き”がいつまでも外れない現実に直面した。

「ずっと『東海大相模の小笠原くん』なんですよね。結果を残せない僕が悪いんですが、中日の小笠原にはなれていなかった」

 新たに知り合った人に決まって言われるのは「あの時の甲子園、見てました!」。中日でのマウンドが話題に上がることは少ない。松坂大輔や田中将大ら偉大すぎる“ドラフト1位の甲子園優勝投手”を引き合いに出されることもあった。「そろそろステージアップしないと」。過去の栄光との決別こそ、真のプロ選手としての第一歩に違いなかった。

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