天才イチローに「あれはやめさせて」 仰木監督が唯一注文をつけた打撃フォーム
打率.358と結果を残すも「彼の良さでもあった、しなやかさが消えて全体的に固さがあった」
新井氏が振り返ったのは1998年のことだ。イチローが憧れとしていたケン・グリフィーJr.のフォームを真似た年だった。背筋を伸ばし、グリップの位置を通常より高く構える打撃フォームで、この年は、135試合に出場して打率.358、13本塁打71打点、11盗塁をマークした。
イチローがメジャー志向を抱き、そして球団もそれを容認していることを知っていた新井氏は「あまり良い打ち方じゃないと分かっていたが、本人が納得いく打ち方、思うようにやらせてあげていいのではと、黙認していた」と明かす。
チームは1995、1996年と連覇を果たし、悲願の日本一にもなった。ただ、その後は徐々に低迷。そんな中でも、当たり前のように試合に出続け、当たり前のようにヒットを放ち、当たり前のように首位打者を獲る――。イチロー氏の姿にファンの感覚も麻痺し始めたのが、ちょうどこの年だった。
「彼の良さでもあった、しなやかさが消えて全体的に固さがあった。打撃スタイルも外のボールをセンターからライト方向へ飛ばすことも多く、力強さを求めていたように感じました」