天才イチローに「あれはやめさせて」 仰木監督が唯一注文をつけた打撃フォーム
イチロー氏は「本当に人を驚かすのが得意な人間」
阪神・淡路大震災のあと、常に満員だった本拠地グリーンスタジアム神戸(現ほっともっと神戸)、そして“エリア51”を間近に見ることができた右翼席にも空席が目立ち始めていた。メジャー挑戦を見据えていたこともあり、自分自身との戦いを強いられていたイチロー氏の葛藤が見られたシーズンだったともいえる。
「私が1番好きだったシーズンは1995年。首位打者、打点王、盗塁王を獲得してホームランも25本打った。内角を攻められ、相手投手が詰まらせるために投げたボールをスタンドに放り込む。理想的なスタイルだった。後に本人に『あの時の打撃が好きだ』と伝えたことがあったけど、キョトンとした表情を見せていた。やっぱりヒットを積み上げる方がいいのかなと感じましたね」
新井氏は1999年まで1軍コーチを務め、イチローのオリックス最終年となった2000年から2軍監督に配置転換されている。最後の年を一緒に過ごすことはできなかったが、共に過ごした6年間は今でも財産となっている。
「メジャーでも上手くいけば、打率3割は打てるかなと思っていたけど、初年度にいきなり首位打者やMVPを獲得した。この男は何なんだと(笑)。本当に人を驚かすのが得意な人間ですね」。イチローが衝撃のメジャーデビューを飾った2001年を最後に、新井氏は仰木監督と共にオリックスを去ることになった。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)