仰木監督と打順を巡り衝突 指導の転機となった“右のイチロー”の起用法
「選手ができてないことは指導していないことと同じ」
しかし、指導者としての考えを改めさせられたのもこの一件だったという。
「自分は指導しているつもりだったが、選手ができていないことは指導していないことと同じ。あの一件で目を覚ますことができた。冷静に考えると指導力不足です」
その後、新井氏は根気強く指導を続け、谷も徐々に打撃を変化させていった。2006年オフには巨人にトレード移籍となったが、新天地でも巧打は健在。古巣オリックスに復帰し、2015年に現役を引退したが、通算1888試合に出場し1928安打、打率.297、133本塁打741打点と堂々たる成績を残した。
「仰木監督に叱られ、指導者として一段階成長できた。谷は初めて自分の中で見て、一緒にした選手だった。何としても2000安打を達成してほしかったですが、思い出深い選手の1人でした」
選手と共に成長し、指導者としての引き出しを増やしていった新井氏。一方でオリックス時代には仰木監督から編成面でも相談されることが多々あった。1999年、ヤクルトに入団したロベルト・ペタジーニも、その1人だった。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)