幻に終わったペタジーニのオリックス入り 仰木監督に届いた“交換オファー”

活躍するペタジーニの姿に「お前がもっと強く獲得しろと言わなかったからだ」

 現場レベルではペタジーニ獲得に向けて気運が高まったが、球団フロントは獲得を見送ったため、ペタジーニのオリックス入りは実現しなかった。翌1998年オフ、レッズに移籍していたペタジーニをヤクルトが獲得。来日1年目となった1999年にはいきなり44本塁打を放って本塁打王に輝き、その後も巨人、ソフトバンクでプレーして、NPB通算233本塁打の大成功を収めたのだった。

「ヤクルトでホームランを量産する選手がいて、どこかで見たことがあると思っていたら……。仰木監督に『監督、あの時のペタジーニですよ!』と。でも、そこで返ってきた言葉は『お前がもっと強く獲得しろと言わなかったからだ』でした(笑)。もし、ペタジーニを獲得できていれば、3回目のリーグ優勝も可能だったかもしれませんね」

 その後、新井氏は打撃コーチ、2軍監督などを務めて、2001年にオリックスを退団。2002年は再び、解説者として外から野球を見る日々を送っていたが、シーズンも半ばに差し掛かった夏頃に1本の電話がかかってきた。見知らぬ番号からの電話に出ると、受話器の向こうから聞こえてきたのは驚きの名前。「王貞治です」。新井氏の指導者人生が再び始まることになる。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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