史上最強と謳われた“ダイハード打線”の真実 名伯楽が明かす強打者の育て方

ダイエー時代の井口資仁と川崎宗則【写真:共同通信社】
ダイエー時代の井口資仁と川崎宗則【写真:共同通信社】

2004年のダイエーはプロ野球史上最高のチーム打率.297をマーク

 2001年に仰木彬監督と共にオリックスを退団し、2003年からは王貞治監督が指揮を執っていたダイエーの打撃コーチに就任した新井宏昌氏。就任1年目にプロ野球史上最高のチーム打率.297をマークし、リーグ優勝、日本一を成し遂げた。本人の証言をもとに振り返っていく連載の第11回は「完成したダイハード打線」。

 2003年のダイエーは王者奪還に燃えていた。前年はリーグ2位ながら首位・西武に16.5ゲーム差をつけられた。その年のオフには首脳陣のテコ入れを断行。王貞治監督からの“直電”でオファーを受けた新井氏は、打撃コーチに就任して“日本一の打線”を任されることになった。

 オープン戦で主軸だった小久保裕紀が右膝の前十字靭帯断裂の大ケガを負って離脱。チームにとって大きな痛手となったが、松中信彦、城島健司、井口資仁、バルデスの“100打点カルテット”が完成。さらに規定打席に到達した3割打者が6人、チーム打率.297の「ダイハード打線」が打ちまくった。

 コーチ就任1年目で歴史に残る最強打線を形成した新井氏は「コーチ業として、記録に残る日本一の打撃だった。その中に打撃コーチとしていたことは今でも誇り。今まで3割を打ったことない選手が一段階レベルアップする手伝いをできたのもいい思い出です」と振り返る。

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