史上最強と謳われた“ダイハード打線”の真実 名伯楽が明かす強打者の育て方
高卒4年目の川崎はイチローモデルのバットを使用していたが…
そして、高卒4年目を迎えていた川崎だ。この当時からイチローへの憧れは凄まじく、バットもイチローモデルを使用していた。新井氏はバットを短く持ってスイングする姿に違和感を覚えた。イチローが使用していたのは、33.5インチ(約85センチ)のバット。投球を打つ面の細いバットはグリップエンドに指を掛けないと、バランスが取りづらい特殊なバットだった。
「まず、そのバットはすぐに変えた方がいいと伝えました。これではボールが飛ばない。力のない選手には操れないので『違うものにしたらどうだ?』と。練習熱心で『イチローはこんな練習をしていた』と言ったら、本当にその通りやってのける。力をつけてきた2004年には松中と同じケージで、ハンデを貰いながらもホームラン競争を行うぐらいに成長していました」
小久保を欠きながらも圧倒的な打撃力を遺憾なく発揮し、この年、ダイエーは3年ぶりのリーグ制覇、そして日本シリーズで阪神を下して日本一に輝いた。ダイエー1年目で充実したシーズンを過ごした新井氏だったが、翌2004年に球界を揺るがす大問題が起こるのであった。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)