西武山川、オリ吉田に受けた衝撃 プロ諦めた大阪桐蔭元主将が感じた決定的な違い

大阪桐蔭入学当初は腕立て3回程度、ランニングは周回遅れだった

 水本さんはプロ野球選手の夢に届かなかった理由を「走攻守全てで、秀でたものがありませんでした」と分析する。もしも小、中学生の頃に戻れるのであれば、運動能力や基礎体力を伸ばすトレーニングをしたいと話す。子どもの頃は、チームの練習がない平日に友達を集めて柔らかいボールを使って野球で遊んでいた。楽しかった記憶に懐かしさを感じながら「瞬発力を上げるジャンプやダッシュ、高校の練習についていける体力をつけるトレーニングをしておきたかったですね」と振り返った。

 水本さんは大阪桐蔭に入学当初、腕立て伏せが3回程度しかできなかったという。腹筋30回、背筋30回、腕立て伏せ10回を1セットにするウォーミングアップにつまずき、ランニングメニューでも1人だけ周回遅れになった。練習についていく脚力や体力をつけるため、ノックで走者を務める時も紅白戦や練習試合の攻守交替の時も常に全力疾走した。それでもプロ野球選手になった仲間の姿を思い返すと、瞬発力や体力に違いがあったという。

「高校で1つ年下だった森友哉はぼてっとした体型ですが、短距離はめちゃくちゃ速かったです。中学時代にチームメートだった中日の京田は練習が好きで、よく短距離ダッシュをしていました」

 高校でも大学でもドラフト候補に挙げられながら、プロになる夢は果たせなかった。それでも水本さんは、後にプロ入りする選手の姿を目の当たりにして力の差に納得している。大阪桐蔭で甲子園春夏連覇を成し遂げ、社会人で26歳まで現役を続けた野球人生に悔いはない。

(間淳 / Jun Aida)

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