30歳前に「人生が終わる」→42歳で大偉業 稀代の“遅咲き”が実現できたワケ
35歳の2007年から4年連続150安打以上「意識がかなり大事」
打撃を生かすため、2002年に捕手から外野手に転向。捕手にこだわりはあったが「試合に出られるかも」と切り替えた。チャンスはどこに転がっているかわからない。「絶対に逃さない」という気持ちだった。
「まずは1軍の舞台に立たないといけない。その状況は自分自身でつくらなければいけないし、自分で手繰り寄せなきゃいけない。なんとなく出番が回ってくるのを待っているようでは、本物にはならないと感じています。コンバートは試合に出るチャンスを掴ませてくれたので、良かったんじゃないかなと思います」
それから、33歳の2005年に首位打者と最多安打のタイトルを獲得。35歳の2007年から4年連続150安打以上を放つなど安打を量産した。
「意識がかなり大事です。ひょっとしたら大したことじゃないかもしれないけど、それを大事だと思ってやれるか。取り組んでいけば、プロとしての意識が高まっていき、何も考えなくてもプロ野球選手としての生活になっていく。人間は怠け者なので、誘惑に負けたり、面倒くさいなと思ってしまう。きっちりやるのは労力がいりますが、結果出すためのことだと考えれば、どうってことなかったりします」
今でも「若い時にしっかりやってれば」という後悔がある。しかし、その後悔があったから頑張ることができたし、気づかずに選手生命が終わることがなくて良かったとも思っている。42歳11か月での大記録達成。その偉業の裏には、危機感が生んだ意識の変化と、並々ならぬ努力があった。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)